化粧箱入り
平均より少し上
特にこの国に顕著なのかもしれないけれど、未だに平均点より上のほうが有利だね。バランスが良くて、突き抜けて得意なこともないけれどかと言って致命的に苦手なこともなく、何でもそつなく指示に従える人。できればそれらが平均より一段階上であればとても優秀とされる。それが今ではだんだん通用しなくなってきた。そんな人ばかりが集まっても何かを変えることができないみたいだね。人の例えとしてふさわしくないかもしれなけれど、決められた箱にきちんと収まる人が見栄えが良くて人気がでるね。そういう意味では、スーパーで並んでいる形や大きさが揃った高級な果物と同じように感じてしまう。学生は同じ制服をきちんと着て前から見るともうみんな同じにしか見えない。未だに古い会社は新卒で採用をしている。さらに勤める会社を選ぶのに未だにスーツがふさわしい。それが日本の伝統と言うほどの歴史はないものの、なんとなく決めたそれをやめる勇気が誰もないね。
均整
文武両道とか心技体とか三位一体とかバランスとか中庸を重視されるのは歴史が少しあるね。なにかに突出していても、他のことがおろそかであれば全体としての価値は低くなるという意味合いが含まれているのかな。もともとはそういう意図ではなかったように思えるけれど、現代的な解釈ではこれまたすべてに秀でなさいと言わんばかりの言葉になってしまっているね。だから親や学校は、苦手な科目があればそれを頑張りなさいと言う。得意な科目を勉強したところで全く褒めもしてくれないね。それを見ていてとっても違和感があった。なんとも言えないけれどそれ自体がいつもの日常の会話のようでいて、どこかもやもやとした不自然さを感じていたからね。とっても歌が上手な子に数学もできるようになりなさいと母は叱る。この場面で母はそれほど変なことを言っている場面ではなく感じるだろうね。でも、自然と歌が上手ということはとんでもない才能で数学なんかと比べる次元ではないと思っているんだけれど、違うかな。
貨幣価値
要するに現代では均質で形が整った箱に入るフルーツのように、それ自体の価値がお金に変わるかどうかで決まるようだね。凸凹で見た目が悪いけれど食べるととっても美味しい果物は、トラックでスーパーまで運ぶ間に角がぶつかってぐちゃぐちゃになる。均質で美しい形の果物はそれよりちょっと味は落ちても平均よりやや上の味であればそっちのほうが価値が高いってわけだね。歌がとっても上手な子は、将来それでプロの歌い手として大金を稼ぐことができて普通のサラリーマンと同じになる。さらに人気と名声を得られるとようやく数学も音楽も平均より少し上の人を超えることができる。一方、その平均君は、歌もカラオケで普通より上手だし、数学も普通より少し得意だから今や会社では幹部候補生として期待を一手に集めている。お金に変わる価値は平均君のほうが高いね。逆に言えばそれだけのことだね。自然の果実や生物を見たら均質なやつなんて一つもない。あるのは人があれこれ操作したものだけだね。はてさてあなたはどんな形を目指したいですか。いつまでもお肌ツヤツヤで年齢より若々しく見られるために命を燃やしますか。やっぱりきれいな箱が良いですかね?