ご褒美の時間

日々

無意味という意味

できるなら効率なんて考えずに無意味なことに集中してみるとリラックスできるね。仕事は疲れる。それは効率化を当たり前のように押し付けられているからだね。そもそも人間の脳はシングルタスクなのにマルチタスクに無理やり動かされているもんだから、そりゃ脳は壊れていくね。だから無意味なことが意味があるんだよ。仕事で意味のないことをしていたらそれは「無駄」だと言われてしまうね。ところが、そもそも生物が他の生物のエネルギーを食って生きていることに意味なんてない。だから生きることそのものが現代的な意味で無駄なことなんだよ。そんな無駄な存在であるあなたが仕事に価値を見出したとしても無駄なものが無駄な価値を論じていることになる。結局はそれらはすべて無駄で間違いないね。身も蓋もないことを言えば、エコとか地球を守ろうとか言うのだったらできるだけ早く人類が絶滅したほうがいいのは間違いないね。

無駄が悪者

そもそもで言うと無駄を悪者呼ばわりにしたのは近代に入ってから、あまり頭が良くない人たちがそうしたんだよ。そもそも無駄は深淵で美しいもの。芸術や美にふれるとそれがわかるはずだね。それを私利私欲のために無駄を排除することが素晴らしいことという文脈に書き換えたんだ。だから無駄なことに罪はない。むしろ無駄に戯れることが生きることそのものだったのにも関わらず、今は無駄なものを排除して生きることが素晴らしいことだと勘違いしているね。ペットの世話や子供の世話、部屋の片付けや家事全般、庭の草刈りやこの季節だと落ち葉を掃いたりと忙しいね。これらは無駄なことであって、有限な時間のすべては仕事人生に全振りするのがクレバーな生き方と騙している。だから面倒事を外注化したりテクノロジーでロボットに任せようとしている。ところが、本来それらはとてもご褒美の時間であることに気がついていない。効率を上げて仕事をこなし結果を出すことで評価されることだけが生きる価値だと洗脳されてしまっている人にはもはや理解できないだろう。よく考えてみたらわかるけれど、自らがそんな効率のいいロボットになって地位や名声を得たところで、それこそなんの意味がそこにあるのだろうね。

恐怖の余白

スケジュールが真っ白なことはどんなに優秀な人でも真似できない。なにもしない休日を過ごせるなんて最高の贅沢なんだけれど、優秀と呼ばれる意識高い系な人ほどヨガしたりジムにいったり旅行したり見聞を深めたりして休み中であろうともマルチタスクをやめないね。寝そべって鼻くそほじっておしりを掻いて過ごす時間が本来の生命の時間なのに、そんな人を軽蔑する風潮さえある。洗脳とは恐ろしいものだね。猫や犬と一緒に暮らしている人はよく見知っているだろう。彼らは嫌なことを一切しないしやろうとも思わない。無駄を排してマルチタスクでアウトプット量を増やそうなんて微塵にも思わない。でもあなたは彼らが羨ましく感じることが多々あるね。でもあなたがお世話をやらないと生きていけない。だから世話をしなければいけないんだけれどその時間が惜しいとか面倒だと思ったとしたら相当あなたは生命から遠ざかっていると考えたほうが良い。あなたはあなたを生きてはおらず、だれか他の人生を変わりに生きているだけだね。しまいには我が子の世話も、言葉が通じない面倒な存在だから外注化すると言い出しかねないよ。他人の世話をする時間は決して無駄ではなくむしろそのためにあなたはこれまで生きてきたんだよ。そのことをどうか忘れないように。