落ちたからあげクン
魂の叫び
今を生きるとか簡単に言うけれども、ほとんどの人はそれができずに未来への不安ばかりで一日が過ぎる。それで体調を崩したり愚痴ばかりこぼしたりやることなすことすべてがネガティブにしか見えない。これだけは一所懸命やったのに誰も評価してくれないとか、こんなに丁寧に説明をしたのに全く覚えてないとか、もっとひどくなると何もしていないのにいつの間にか悪者になっているとかだね。単なる誤解なんて日常的に起こる。それは基本人は意地悪く、理解不能だからだね。悪口言われて悔しいからやっつけるというのは、弱さを見せると徹底的にやられるからだね。わかってくれという願望は自己承認欲求でしかなく、それはすべての人が少なからず持っているもの。そんな状況で今を生きるとは一体どういうことなんだろうか。そこと向き合っている人はこれまでの経験上とても少ない。おおよその人はどうやったらよく思われるか、どうやったら有利になれるか、そればっかりで日が暮れている。
命を燃やせ
どうでもいいことを命がけでやろう。そう、ありったけの力を込めて一番楽しく一番丁寧に進めていこう。初めからそんなに上手くなんていかない。下手くそでものたうち回っても鼻水や涙を流しながらでも愚直に目の前のことをしっかり正面から対峙してみよう。そんなことしている暇はないといつも思っていることを、立ち止まって丁寧に見つめてみよう。ああ、これは手に負えないと思っていることを果敢に名指しして対決しよう。それらがすべて今を生きるということ。それに夢中になっているときは未来がどうだとか、他人がどうだとか、そんなことを考えるスキもない。とにかくそれだけに集中すること。でも集中しすぎて疲れるからそのときはダラダラすること。でもそこで挫けず諦めず、またあしたも楽しみと思って眠ること。それだけでいいんだ。計画なんてすべて前倒しでいこう。ま、ずれても気にしない。それがいい加減といい、いい塩梅とも言うやつだ。
明るい日
そうやって周りを少し丁寧に見つめてみよう。明日が皆に来ているという実感。なにもかも足りないと思っているはずなのに、ちゃんと明日が来て、着る服があって履く靴があって食べるものが用意されていて足も痛みもなくちゃんと一歩踏み出せることを感じてみよう。当たり前だと思っているその風景はめちゃくそ奇跡の塊だね。また愚痴一つ言ってやろうと思えること。ありがとうと心から思えることに出会えること。意味不明な上司がいること。夢のマイホームは手に入らないこと。隣でワンコがおしっこしていること。すべてが奇跡に見えるならあなたは今を生きている。そして明日が来たことに感謝している。それを忘れてまだ寝ぼけている人が一緒に街を歩いている。ああ、まだあの人は夢の中なんだな、と思えるようになる。寝ぼけている人に寝言を言われたところであなたはそれを受け流すこともできる。何一つ腹立たしいことなんてない。唯一腹立たしいのはからあげクンを一つ路上に落としてしまったことだね。ああ。これもまた奇跡だねとフフフと笑おう。