眠くなる話
意識
起きているときには意識があるけれど、必ず意識は失ってしまう。最近は電車でお気に入りの本を読み始めたとたんに意識を失ってしまうね。そしてハッと目覚めたときはあなたは前と同じ自分が戻ったと勝手に勘違いしている。そんなの当然だよと思うかもしれないけれど前の自分と目覚めた今の自分が同一であることを証明しようとしてみたらわかる。それを現代風に追求するには科学的な調査と研究で解き明かす方法が一番信頼されているんだけれど、科学そのものが意識上でしか成立しないものなので実に面倒なことになる。意識があって科学が成立しているので意識そのものがどういうものかということを解明することは科学ではできないという結果になる。だからこれほど近代化されて都市化されて便利なこの国の研究者であっても意識がなんであるかを説明することは今の所できないということになる。
脳は何者か
心はどこにあるかという昔からの議論がある。当然考えているのだから脳が司っているという意見が大多数なのかな。でも人間の身体はそう簡単でもなく最近では神経の集まり具合と発達の歴史を鑑みるとどうもお腹の腸が脳の祖先であって、腸でもものを判断している痕跡があるようだね。腹が立つなんて怒りを表現したりするのも実は腸の動きがそれに関連しているのかもしれない。お腹が脳と同じような機能を持っているとすれば心はどこにあるかという問題は脳科学的にもますます迷宮入りしてしまうかもしれない。脳がすべてを司っているとすれば、意識は脳が生み出しているということになるのか、はたまた意識が脳をコントロールできるとすれば意識は脳以外の部分で生み出されていると考えるのが自然となってしまう。このあたりの知識は断片的な受け売りなので詳しくはWEBでググってほしい。聞いた話によるとストップウォッチをじっと見て何かをしようと思ったときの時間を見てから実際にやってもらうような実験をすると、脳波の方が必ずその時間より先に動き出しているという結果が出るらしい。なんの指示もしていないのに勝手に脳が動くことになる。あなたの思いの塊である意識より先にあなたの脳が動き出すということはその指示を出しているのは一体誰なのか。脳科学的には意識なんてもしかしたらそんないい加減な状態など研究の対象外になるときが来るかもしれないね。
物心
あなたは気がついたら物心がついて、おそらく生まれた瞬間や母のお腹のなかの記憶が残っていないね。ということは赤子の頃は意識なんてなかったのかと言われるとどう思うだろうか。いやいや、言語化できないだけで意識は外から見ていると確実にあるし、夢も見ている様子が見て取れるね。でもあなたの物心はその数年後の記録しか残っていない。気がついたらあなただったわけだね。そうやって意識は突然現れておそらくは突然なくなる。うっかり寝過ごしたときなんかはそうだね。目覚ましをかけないと指定時間には起きられない。もちろん強く心配事があれば今度は眠れなくなったりする。どうも意識ってやつはコントロールが難しい。一体だれがこれをうまく手懐けることができるのかってほどだね。そしてその意識を記録できるのが文字という記号だね。この記号を駆使してすべてを同じとして見るという破壊力最強な抽象化が可能になった。そのことで感覚器官を休ませることができて脳が別の仕事をすることができた。だから近代化できたのが人間だけなわけだね。りんごといえばみな同じりんごを思い浮かべているという前提でりんごという言葉を使うことができる。でも実際は同じりんごなんて一人ひとりの脳を調べるとおそらく違うに決まっているね。夕焼けという言葉で想像する夕焼けは幼い頃みた風景がないと出てこない。おそらくは漫画とかアニメで見た夕焼けをその人は思い浮かべている。でも夕焼けといえばすべての人が同じ夕焼けを思い浮かべているという強力な同一化を図ることができる記号が文字というわけだよ。ま、ちょっと眠くなってきたからここまでにしておこうね。