秒で変わるよ
経験
成功とか失敗とか色々体験してきたね。ただ冷静に振り返ってみると失敗の方がほとんどの人生だったかもしれない。自転車でコケたり調子乗って木に登っていたら枝が折れて落下したりザリガニの爪に挟まれたりとまぁ幼い頃はかなり乱暴で平気でそういうことを繰り返していたね。大人になればさすがにそういう木に登ったりはしなくなった。けれど思わぬことで嫌われたりあらぬ噂をたてられたり誤解されたり嫉妬されたり好きだと伝えたらキモいとフラレたりと相変わらず失敗の連続だね。おそらく多くの人がそうやってなんとか今まで生きてきたはずなんだけれど、それらを全部ひっくるめてなんてついてない人生だったんだと総括するのか、なんて楽しい人生だったんだと肯定的なのかでこれから起こるあらゆることも全く変わってしまう。そう、そんなことで世界ががらりと変わってしまうんだよ。
冒険
人生はアドベンチャー。だから挑戦しますか?やめておきますか?の二者択一が連続して起こると思い込んでいるね。でもすべてを楽しく肯定的に見ているとその選択肢が分岐になっていない。挑戦があったときは必ずそれに挑むからだね。やめておくという道は見えていないのでないのも同然だね。一方でネガティブにとらえてまた失敗するんじゃないかと思ってしまうと、二者択一どころかいくつもの連続した選択肢を前に立ちすくむしかなくなる。そうするともう身動きできなくなってしまってせっかくの体験するチャンスをどんどん見送ることになる。それと同時にあなたの世界は何もしないのに怖いという最悪な色味を帯びてしまって、もはや嵐が過ぎ去るのを待つだけとなるね。冒険とは程遠く時間をいかに潰すかというところへのエネルギーしかなくなる。万が一何かがあったら責任が取れないと脅かされて、自己責任という呪詛であなたは永遠に封印されてしまっている状態でもある。冒険はもはやゲーム機の中でしか体験できない時代なのかもしれないね。気に入らなければいつでもこっそりリセットできるからね。
生きること
水を飲んで食物をたべてうんこして息をして寝る。多くの生命はそうやって生きる時間を過ごしている。それらには当然リスクが伴うね。生きることと、リスクを取ることは同義であると言ってもいい。ところがここのところ概念でのみ生きることが可能になってきた。あなたはもう狩りをして獲物を捉えて肉を食べなくても、コンビニで美味しく味付けされた加工肉をいつでもいくらでも食べることができる。水を飲むために敵がいるかもしれない場所へ危険を冒してまで行くことはない。そうして根本的に自然から遠ざかった社会的動物と変化したわけで、そうすると本来狩りをしたり水飲み場の縄張り競争をしていたエネルギーが他のことに向かうわけだね。それが思考の暴走となって現れる。だから思考を一旦止める練習が今はとても流行っている。うまくいってかっこよく見られたいとか失敗したら恥ずかしいとかバカにされたくないとかなめられたくないとかなんて考えている動物は自然界にはゼロだね。そんなものは生きる上でなんの役にも立たないからそうなっている。そこに気がつくともっと本来の充足という視点が生まれるんだけれどね。まぁ誹謗中傷をしたくてウズウズしている人たちの集まりが現代社会と呼ぶならば、一旦この現代社会が別のなにかに変わらないことには難しい。社会を変えると言ってもそんなに大したことではないよ。さっきも言ったように見方を変えるだけでガラリと変わるからね。秒で変わるよ。