幸福原理

日々

感謝

すべてのものに感謝できる人は見るからに幸せそうだね。何かをしてもらったときはもちろんだけど、よくわからないときでもよくわからないことに感謝できる人はさらに無敵になる。一方ですべてが不満でちっとも思い通りにならないことに囲まれている人はつらそうだね。なにもかもがそっぽを向くかの如く思いと裏腹なことしか起きず、それに感情をぶつければなんとかなると激昂したりすることが多くなって周りも見ててつらくなるね。怒りという莫大なエネルギーを放出することになるから、それらの内側にはほとんど何も残っていない。ほぼ中身のないハリボテでしかなくなってしまっているからますます怒りのパワーが衰えてしまっている。そのことにも気が付かずに力ずくでなんとかしようとしているから、もはやその闇の悪循環から逃れられなくなってしまっている。そんなときに助かる呪文が「ありがとう」と言うことだね。そんなよくわからないあなたにとって不利益なものに感謝なんてできるわけがないと思っているだろう。それがその悪魔の魔法にかかっている証拠なんだよ。

挑戦

人生は一寸先が闇とか言って悲観的に表現する人がいる。それも黒魔術の罠だから気をつけよう。一寸先は光であって闇は今いる場所のことだね。その少し先は闇か光かというと今が闇だからたとえ闇のままでも一寸という短い先を進むことができている。一寸先は闇だからその場にとどまっていようなんて思ってしまうと、一寸先すら進めない。失敗か成功かなんてあなたが決めることではなくておおよそはどうでもいい周りが決めること。そんなことに惑わされて一寸先すら進めないようにされていることに気がついてね。一寸先が仮に闇であっても光でもあってもそんなことはどうでもいいことで、一寸先に進むという体験をするためにあなたは生まれてきたんだからね。なんでも面白がってやってみる人は、ビビって一寸先も進めない人よりもやっぱり幸せそうに見える。

孤高

何かと比べないこと。比べると不幸になるね。比べるということはとても不思議で、実際何と比べているかが時として曖昧になっても本人は全く気が付かないということだね。最初は友達と背の高さを比べて見る。そうすると友達の方が少し高いことに気づく。それだけなのにそのことがどんどんあらぬことに広がってしまう。背が高いとかっこよく見えるからモテるし社会的に成功する人が多くて高所得でお金持ちになるとかどんどん背の高さとは関係ない相関関係が生み出されていくね。そういうのに簡単に騙される人はそもそも因果関係と相関関係の違いがわかっていない。背が高いからかっこいいかどうかなんてそもそも因果関係はない。なのにそこをそのまま信じ込んでしまうとよからぬ負の循環の罠にハマってしまう。おかしなものでそれも自らそうする人が多い。そうやっていらぬ心配事や悩みを自ら生み出す癖があるのなら、ああ、またいつもの病気が出てしまったなーぐらいに思って笑っていよう。だからダメなんだとか自分を責めたりする人は幸せになれない。自分を責めたってなんにも解決しないことも知っているはずなのにね。おそらくそうやって自分に厳しい姿を誰かが見てえらーいとか言われるんじゃないかと期待しているからそんなふうにするんだろう。まぁ、そんなときもあるよねーぐらいに楽観的に思えたら最高に幸せになる。これは幸せの原理だから間違いないよ。知らんけど。