すべてがいずれ消える世界で

日々

思い出

あなたのこれまでの楽しい思い出も、ちょっと思い出したくないことも、すべては今のうちだね。長く生きている人はすでに幼少期の思い出はほとんど思い出せなくなっている。青年のときはこれまでの覚えている思い出をいくらでも話すことができたけれど、それからおよそ30年ほど経つといわゆる青春時代の思い出はもはやそれが本当かどうかもよくわからなくなってくる。それが証拠に旧友とふと思い出話をしていても、どうも勘違いを訂正されるところが多かったりして、あれ?そうだっけ?みたいな曖昧な箇所がどんどん増えていったりする。それでもまだ訂正してくれる仲間がそこにいるうちはそれでもましで、そのうち誰も訂正してくれなくなるんだろうね。そうすると若かりし頃の誇らしい思い出も、他の思い出とこんがらがってしまって、もはやそうなってしまっていることに気づく人すらいなくなる。そうすると、過去の栄光であるはずの思い出としての価値は、一体どうなっていくんだろうとふと不安になったりするね。

人類

あなたが好きで学んできた歴史なんかもそうだね。学校の授業や図書館の歴史書によってあなたが死んだあともずっと残っていくように思っている。それはこれまでの先人がそうしてきたから、あなたの死後の世界もそうしていくんだろうというぼんやりしたものでしかないね。心配しなくてもあなたの意識がなくなれば、そういった歴史も人類の叡智も世界も宇宙も地球も何もかもすべてきれいになくなる。だから死んだあとのことはどうしても確認することができない。もしかしたら確認できるのかもしれないけれど、それは死んでみないとわからないことだから今からあれこれ考えても仕方がないね。不思議なことに科学では随分前から、この地球もやがて滅亡する時がきて、そして人類もその随分前には絶滅すると言われている。そうなればこれまでの歴史を語る人も孫もひ孫もその先も何もかもが意味なく、すべてきれいに消滅してしまうことになる。多かれ少なかれそうやって消滅すると言われた説すらもあなたが死んだらきれいに消滅する。さらにいると思っている宇宙や地球すら有限の事象だとすれば、あなたは一体なんのためにそれらを学んでいるんだろうね。

助言

こうした方がいいとかああした方がいいとか、いろんなアドバイスを受けながらそれにほとんど従って生きてきた。ところがそれらも国が違えば作法も変わるわけで、絶対的に正解なんてどこにもないことに気づく。最近では日本のしきたりに厳密に沿って、それ以外は考えなくてもいい時代ではなくなってきてしまったね。世界の国々とのやり取りの中であれこれと気を遣う部分が増えてしまった。それで少し窮屈な思いをして生きている。でもあなたが死んだらすべてがきれいになくなるのなら、それらをやめて好き勝手に生きようと思うかな。好き勝手に生きようとすればわかるけれど、ある程度の制限がそこにない世界はとてもつまらない。毎日が日曜日の生活が楽しいのは最初だけで、そのうち毎日が日曜日だったら日曜日に対する憧れも消えてしまうことに気づいてしまうね。そしてまたさらに大きな苦悩が始まる。まだ日曜日と平日があった方がましだったことに気がつくからね。これらはすべていずれきれいになくなる世界での出来事であってあなたの思い出だ。それも半世紀ぐらい経つと記憶としては古くなりすぎてよくわからなくなる。この世からさよならする最後にはわからなくなるということもわからなくなるって言うわけだ。その目で今あなたの目の前の光景をあらためて見渡してごらん。すべてが奇跡の瞬間の出来事の連続なんだとわかるようになる。やがてすべてが消えてなくなる世界でのいろんな出来事がありがたくないわけがないね。