意識と言葉
ビビリ
しかしまぁこれほどまでに恐怖に弱いとは思っても見なかったね。昔の歌で「運が悪けりゃ死ぬだけさ」とかいう歌詞があったけれど今はそんなこと言ったら非国民扱いになってしまうのかな。とにかく冷静にリスクを計算できる力がある人まで大騒ぎを続けている。いや、もしかしたら別のどこかで大儲けできるからわざとそうしているんだろうね。たぶん。はばかりなく言えば年寄りが死んでいくのは自然なことであって、これは身近な現象の一つでしかない。死んでしまう原因が新型の見慣れない病気で亡くなるのか、いつもの病気でなくなるのかの違いでしかない。花の都大東京の人口はおよそ1400万人。そのうちPCRを使って検出できた人数が17人。これは毎日報道しなければならないレベルなのか。いやいや今後は新株のオミクロン株がどうやら強力な感染力を持っていてあっという間に蔓延する可能性があるからまだまだ予断は許されないと。だから今のうちに急いでワクチンを打って先制攻撃すると。え?それ、マジで言っている?
かけがえのない命
命は大切に、と戦後教育でそれだけを重大なこととして捉えるような変なバイアスが掛かっていた。もちろん個性や命は粗末に扱うより丁寧に扱った方が幸せになれるね。ところが視点を変えるとそのために優しい顔して何をしているのか。殺虫剤を巻いてすべての昆虫は抹殺されてかけがえのない人類の穀物を守っている。無農薬とか言っても結局は虫は無視できないからカモに任せたりする。あるいは丁寧に人が一匹ずつ取り除いたりしている。結局それらは人類のかけがえのない命を守るためには避けては通れない殺戮だね。でもそれは悪いことではなくて自然なこと。何も知らず野生のカバに近づけば命を捨てるのと同じ行為だね。彼らは近寄ってくるなにかは敵であって殺せというプログラムがされているだけのこと。それを知らないでむやみ近づけばプログラムが実行されるだけで誰かが悪いわけではない。かけがえのない命は常に失われて生まれている。個性やかけがえのない存在を重視するのだとすれば自然はすべてそうだね。木の葉っぱ一つ同じものを探すのは難しい。かけがえのないという言葉で騙されてはいけない。それは自然だということと同意なんだよ。もちろんあなたも木の葉っぱもね。
環境
環境なんて言葉も嘘っぱちの言葉の代表格だね。環境とはなんぞや、と説明できる人はどれほどいるのかな。意味を調べると「人間または生物を取り巻く、まわりの状況。そのものと何らかの関係を持ち、影響を与えるものとして見た外界。」とある。何を言っているのかさっぱりだね。人間や生物は環境ではないのか。あなたを基準としないとあなた以外、すなわちまわりが存在しない。外界とはあなたが内側という出発点がないと成立しない。ということは人間または生物をとりまく状況というのは、あなたもその中の一人だね。神さまの視点から人類や生物を見ていてその全体の状況が環境だというならば、それは宇宙そのものでもある。これほどわかった風でわからない言葉は他にもいくらでもある。しかしながらすべての人にこの環境という言葉で狙った通りの意味の世界が想起されるのが言葉の便利さだね。言葉はまるで違うものを同一化するパワーを秘めている。環境とはなんとなくイメージする何かがなければそもそも会話は成立しない。環境という言葉が通じない環境は、それこそ環境が悪いので環境を変えて心機一転すればいい。で、環境って変えられるものなの?とか突っ込んではいけない。要するに言葉の世界は意識の世界であって現実の世界とリンクしているようで実はまったくしていないこともあるってことに気をつけましょうっていうことだね。