幸せへの架け橋

日々

根拠のない自信

この国ではそれほど自信家というタイプの人はいないかもしれないね。これは自信があります、なんて言えるものの一つや二つぐらいはそれぞれあると思うんだけれど、なかなか自信があります、なんていう文化ではなくてどちらかというと「能ある鷹は爪を隠す」なんていうことわざがあるように、あまりそれを口外しない方が好まれる風土にあるからなのかもしれない。でも大抵の場合であてはまることは、自信家は優秀な場合とひどいうぬぼれの場合と2つのケースに分かれるということ。どちらも根拠のない自信に満ちあふれているんだけれども、その自信によって頼もしさを感じられるようなタイプと全く頼りなく感じるタイプの違いは一体なんだろうね。

何を信じているか

自信とは文字通り自分自身のちからを信じて疑わない姿勢ではあるけれど、どうしてそう確信したのかということがどうやら同じ自信に満ち溢れているとしてもそれぞれ違うね。だから先の大きく2パターンに分かれる。一つは自らの能力がずば抜けて優秀だと確信しているパターン。もう一つは何かをしてあげられるという自信を強く持っているパターンだ。何かを成し遂げるタイプは明らかに後者であって、前者の自分は有能だという視点を持っているとすべての不都合や失敗はおおよそ自らには無関係であるとしか認識されない。したがって、人を選ぶタイプとも言えるね。圧倒的に多いのはこのパターンで、たしかに優れた才能があるからこそ世間からはちやほやされて引き手数多な人気者か有名人となる。最近ではSNSの影響もあって「インフルエンサー」なんていう呼び方になるだろうか。とにかく人より秀でた何かを武器にして圧倒的な力量差や能力差が最大の魅力となる。そういう人が社会にたくさん増えてきているとしても、社会全体の幸福度合いを増加させるものではなく、その魅力を獲得するための競争社会になりがちなのも特徴的な部分かもしれない。簡単に言えば「バカは相手にしない」タイプとも言えるね。

縁の下の力持ち

一方で後者の「何かをしてあげられる」タイプは人生のガイドタイプであるとも言える。自らが思ったことをそのとおりに実現できるという自信に満ちあふれているからこそ、常にポジティブであって勉強家だね。情報収集にも惜しみなく自らの能力を駆使している。なぜなら成りたい自分や将来像が揺るぎなくしっかりと見据えていられるからだね。絶対に成功するという根拠のない確信を持ち続けていられるからこそ、何を、誰を、どうしたらうまくいくかということしか考えていない。夢中になってやることが正反対だとも言える。先の自らの優秀さを信じて疑わない自信家は自らの能力をどこでどういうふうに発揮するかということだけを考えているけれど、幸福請負人である後者はどこでどういうふうに仕込めば幸せになれるかという部分を常に探っている。その仕込みに関しての絶大なる自信があるから、なんとかしてそれをやりきってしまうエネルギーに自信がある。これぞまさに自らを信じるという効用だね。能力やセンスを信じてしまうとその後には言い訳と選別しか残らないから気をつけよう。