先読み

日々

商い

製品を売買することを商売と言うようになったのはここ最近になってからだね。商売とは利ざやを稼ぐことであり、安く作って高く売るのが基本とされている。表面的には全くそのとおりだ。けれども実はその本質を考えるとわかるけれど、そのもっと奥が重要なんだよ。だから値段とか利益とかしか見られない人は真の商売人には程遠いね。どんな仕事でも共通して横たわる基礎がある。そのことをついつい忘れがちになるし、資本主義という言葉に惑わされてそもそもお金の流れとは何かという本質的な洞察が抜け落ちている。データだけで経営することが近代では科学的でかっこいいように見せかけるけれどやっている本質は時々振り返って見るほうがいい。おそらくうまくいっているほとんどのケースは、実はそこに気がついているからだと思うよ。

売れるもの

誰かが誰かに売れるものといえばなにか。それは究極には幸せなんだよ。そんな事ぐらい知ってるよという人は仕事であれ趣味であれ必ず必要とされる人だね。ところがそんなこと当たり前すぎてバカにしてすっぽり抜け落ちてしまっている人は数字だけを毎日毎日追いかける。人気商品にあやかってあぶく銭をどうやって稼ぐか、情報の弱者を相手にどれだけ売りつけられるかだけを追求してしまう。それが商売だと言い切って自慢もするし、それでもいっときはうまくいくからね。一見失敗しそうなのに結局はうまくいっているのはなぜか。冷静に分析すればそこに「幸せのやり取り」が含まれている場合はどんな形態であれうまくいくわけだ。売る人は買ってくれる人に対して、その不利益、不都合、不便、不自由というさまざまな「不」に対して満足や解決を売っているわけだよ。そのための手段としての製品やサービスであって製品そのものの性能やサービスそのものの質ではない。その「不」を解消しようとなんとか努力した結果が「高級」になったり「差別化」につながる品質や性能に行き着くことはあっても、その目的と手段がちぐはぐになったものは市場から見捨てられるのは当然のことだね。そこ勘違いしてしまうと途端にうまくいかなくなる。

流れるもの

近江商人の「三方良し」という言葉が示しているのは皆がハッピーということ。つまり商いの基本である「幸せ」を全てにもたらしていることがその基本となることを示しているね。売り手だけが得をするとか、買い手だけが儲かるとか、それ以外の人が損をするとか、そういういびつなことは続かないということ。今風で言えばそれこそSDGsみたいな持続可能な商いをせよと示唆しているわけだ。一時的に儲けたりはできても、それは一時的な歪での利益であって必ずその後は損をする、いわばパチンコなどのギャンブルみたいな商いをしても誰も幸せでないならそれは商いの道からは外れているということを伝えている。そもそも幸せの流れがお金の流れになっているわけであって、お金の本質は「ありがとう」という感謝のエネルギーの連鎖だね。そこを勘違いしがちなのが数字だけ追いかける経営だね。そら見たことかとかつての大企業は軒並み衰退している社会で、どれだけの人がそのことに気づくだろうね。そしてそうやって新しい流れが始まることも、すでにわかっている人には見えているということ。流れを読むというのは大自然で生き残る基本の知恵でもあるわけだね。