無意味な世界
言葉
人には言葉という武器がある。これはとても強力で恐ろしいほどの破壊力を持つ。なぜなら言葉の世界を構築することで文明を手に入れ現代社会の暮らしを人類だけ構築することができたからだ。科学であれ宗教であれ信仰であれ言葉があってのこと。実際に言葉というパワーでここにないものを新たに生み出す力を積み重ねて今がある。そのことからもはや誰も逃れられない時代だね。文章が苦手とか国語嫌いとか漢字がわからんとかそれぞれあると思うけれど、それでもLINEやtwitterなどのSNSには言葉と画像が行き交っている。今は画像や動画がメインといえども、その画像や動画にご丁寧に字幕が付き出しているね。それぐらい言葉のパワーは恐ろしいほどのものであることは間違いない。
宣言
いちいち口で言えという現代。恋人同士は付き合っているかそうでないかを宣言しないと一緒にいられない。結婚するにはプロポーズが必要でいつの間にか一緒に暮らしていたなんてことは許されない。逆に別れたのならきちんと関係を解消したと口を揃えて言わないことには認められない。曖昧にすると周りの言葉によって糾弾されたりする。そして単なる言葉がその人の心を蝕んでついには肉体的にも影響を及ぼすパワーがあるね。言葉の暴力という表現があるように、SNSで呪詛の言葉が流れ続けることでなんと人は自らの生命を断つことさえある。ならそんな言葉の正体を暴いてやろうと言葉そのものをよく観察すると、紙に書かれた文字はよく見ると単なるインクのシミであり、スマホやパソコンに映る言葉は単なる液晶画面の点滅にすぎない。そんなものにそれほどの力があるとはいやはや恐れ入ったね。そしてスマホは電池が切れるとそれすらも表示できなくなるポンコツなのにね。
所作
一方で古来から所作や型を大切にしてきた文化がある。言葉で何かを残すよりも、実際の型や所作を大切に伝えてきた。所作や型におしゃべりは不要なことが多い。むしろおしゃべりを禁じているね。それはどうしてか。言葉は行動を邪魔するからだ。言葉は思考を生み出し、思考は判断を生み出す。それによって無限のパワーを発揮する。思考は現実を生み出している。現に今がそうだね。夢がかなったのが現代社会とも言いかえられるぐらい不便を便利に変えてきたわけだし、都会を見渡しても意味不明な奇妙な存在は徹底的に排除されている。その際たるものが自然だね。自然を残すといいと言われてるのはあくまでコントロール下における程度であって、自然災害といった脅威になるようなものは一切排除しようとつくられている。そのように言葉で作られた街が今の都市だね。都市は放っておいてできたものでない。一方で古来から伝わる型や所作は真逆であって、それらの体系的な塊を修行といったりする。なんのためにとか考える癖のある現代人からすると全くの意味不明な行動ばかり集めたものにしか見えないね。意味をそこに探すための行為自体をそこには含んではいない。意味のないことに実は意味があるんだけれどあなたにはもはやわからないだろう。この世界のもともとにはなんの意味もないことばかりでできていることを伝えているのだけれどもね。