あなたが決めたの?

日々

できない今

そろそろ年末になって今年一年があっという間に過ぎていくことに感慨深く何かを感じているかもしれない。ああ、来年こそはいい年でありますようにと判で押したように思っている。不思議なことだね。今年できなかったことがなぜか根拠もなく来年はできるだろうと思っている。今年できなかったことは来年も間違いなくできないと考えるほうが自然であって合理的なことはとうの昔からわかっているはずなのに。もっと期間を短くしても同じだね。今日できなかったことは明日もできない。逆に明日できることはおそらく今日でもできたことしかない。それ以上のことができるなんて言う理由はどこにもないからこそ、それ以上ができないまま気がついたら何年も過ごしている。それでもまだ助かるのはそうやって言い訳ができることだね。言い訳ができなくなったらその希望と言う名の目標が悪魔の言葉となってあなたをずっと苦しめることになる。

来年こそ

そもそも12月が来年の1月に変わったところで何も変わることはない。12ヶ月が1年という区切りをつけているだけのことだね。学校はなぜか3月終わりだし、外資系の決算は1月がおおいかな。連続して続く日時の単位として区切っているだけのこと。商売の支払いサイトなんかは月末締めの翌々月払いなんてところもいまだに多いかな。そういう商習慣はもちろん日本特有なものでしかない。江戸時代は12月に1年のつけを全部回収して回ったそうだね。だからそれまでは全部「つけ」でよかったということになる。現代の電子マネーなんかよりも便利だったかもしれないね。とにかく今できないことは未来永劫できない。ならどうするか?来年こそという考えは捨てて今すぐやることしか打開策はないということだよ。

誰の言い訳?

できない言い訳はそれこそ山程ある。それは皆あなたがそう思い込んでいること。すなわちあなたそのものということになるね。時間がないとかお金がかかるとか、そういう仲間に恵まれないとか場所がないとか数え上げたらきりがない。ならそもそもどうしてあなたはそれをやろうと思っているのかというところに着目してみよう。それはたまたまテレビで見かけて気になったからかもしれないし、友達がやっていたからとか、たまたま何かのきっかけでしかないね。それも、あなたが選んだと思わされているけれど、たまたま偶然であればそれも怪しい。そうなるように初めから決まっていた可能性が高いね。ドラマや映画で出会ってピンときたと思っているけれど、それであればなぜあなたはそれらを見ることになったのか。それは偶然だとしたらあなたが決めたことではない。なら誰が決めたことなのか。来年こそやり遂げたいなにかは本当にあなたがそう思っていることなのかな?よーく考えてみよう。それはたまたまでしかないのなら、あなたがきめた何かではないことに気がつくかもしれないよ。