うっかりさん
忘却
うっかり忘れたとか、どうしてもぱっと思い出せないことがあるね。特に歳を重ねるほどに若かりし栄光の思い出なんかも、もはや思い出すのが困難でようやく思い出せたとしてもそれが正確なのか間違っているのかすら確認するすべがない。だから忘れることは世間では悪いこととして、うっかり忘れることを防ぐ方法がいくつも紹介されている。メモを細かく取るとかポストイットに書いて目に付く場所に貼っておくとか、マーカーを引くとか線を引くとかは学生時代によくやったはずだね。そうやって記憶することができることが優秀さのような感覚が誰にも残っている。それは思い起こせば学生時代にそればっかりやっていたことだね。漢字を覚える、アルファベットを覚える、筆記体をかけるようになるとか。もうそんなことやっている学校はさすがにないかな。英語ができるようになるには、とにかく単語をたくさん覚えたもの勝ちとか受験突破手法としては定番のものだったね。今もそうなのかな。
不要
でも要するにすっかり忘れることと言うのは、普段全く使わないことなんだよね。普段から使っていても忘れるようになるのは加齢による脳の劣化だとされている。もう半世紀も生きていると眼の前の人の名前を瞬間的に忘れて言えないときがある。それもよく考えてみると脳が劣化したのかもしれないけれど、実は名前なんてどうでもいいと思ってるからだね。もはやその人がどんな名前なのかよりも今会話を交わしているということそのものに集中するからこそ、ふと名前が出てこなかったりする。それは脳が不要なものをどんどん自然と捨てていってくれているという正常な働きによるものだから、忘却は逆に良いことなんだよ。ゴミ箱にどんどん捨てていっても、そのゴミ箱からゴミをまとめて集積所とかゴミ出しをしないとたまる一方だね。だから、そこが自動的に働いているからこそ、次のゴミを捨てることができる。すなわち、新しい情報を得ることができるというわけでもあるからね。そういう風に考えると脳は断捨離を自動的にしてくれている。だから年をとって劣化するどころか、逆にどんどん進化しているんではないかとふと思う時があるよ。
執着
忘れることはよくあることなんだけれど、すべて忘れないで覚えている人は優秀だと評価される世の中だから、無理してでも忘れないようにそれぞれがジタバタしている。どうしたら少しでも覚えていられるかを研究している人もいるね。それで学生時代には予習、復習が大切であり、繰り返すことで記憶が定着するとかの理論で宿題がたくさん出たりした。そんなもので優秀になった子は一人もいないんじゃないかと疑っているけれどね。宿題は単に懲らしめの罰みたいなもので、学校だけだと世間は甘いと子どもたちが思うから悔しい大人の嫌がらせみたいなものだと思う。宿題なんていう不合理な押し付けをいまだに続けているのはそれこそその人の脳が劣化し硬直しているのではないかな。宿題を出すなんてことはとっとと忘れた方が良いことだと思うんだけれど。一方でいい思い出までもがどんどん色褪せていくのはちょっとつらかったりする。でも本人はそれがあったことすらいずれ忘れてしまうんだからむしろその方がいい。過去の思い出なんて実は今脳が勝手に作り出しているまやかしに過ぎないんだから、そのうちまた都合の良いようにいい思い出を生み出してくれると信じていればいい。忘れることは前に進む素晴らしい機能だから、うっかりさんと呼ばれても実は一番優れているんだ。だからそのままでいいんだよ。