専門家という悪魔
為せば成る
人生を思い通りに生きようとしている人が多くなってきたのかな。いわゆる意識高い系と呼ばれる人たちのことだ。環境に配慮し、差別や人権問題には敏感で、自己責任と合理性と科学的エビデンスを最も大切にする特徴がある。曖昧さや矛盾には徹底的に反論し、論破するまでやめることはない。そんな人がインフルエンサーとして多大な影響力を持っている。いわゆる現代の「正論」を拡散することでそれに同意する人たちが増えているわけだ。しかしどこか違和感が残るのはなぜか。理知的で論理性に破綻はなく極論のようで反駁する余地が微塵にもないのに。なんだかもやもやするのはあなただけではないと思うよ。
なんとかなる
一方で人生負け組とか呼ばれる人たちがいる。自らそう皮肉めいて名乗っているときもあるけれど、やはり為せば成るという意識高い系があっての負け組という対比の構図ができあがっているね。経済学的にはフリーライダーとかいう用語がある。その意味はこうだね。社会インフラは皆の労働に課せられた税金によって公共物として構築され整備されている。したがってその社会の構成員であればそれぞれに負担するのが公平だね。それなのにろくに税金を払えるほどの労働もできず、しかしながら社会のインフラにはお世話になっているという人のことを指す。しっかりと自己責任を果たしている人に対して、それにあやかってタダ乗りしているという意味の言葉はやっぱり侮蔑的な意味合いを感じざるを得ないね。
謙虚という暴力
能ある鷹は爪を隠すという言葉がある。優秀な人ほどいろんな立場と気持ちを類推できる能力が高いわけだから、自分勝手な行動を理性で制御できるということだね。すぐに自慢したり恩着せがましくアピールするのは能が足りないというわけだ。一方でそれは今のSDGsとか環境保護とかエコ活動にも同じような匂いを感じる。地球の裏側で何が起こっているのかということを敏感に察知して、このままではかけがえのない地球が再起不能になるまでに破壊されてしまうという危機感を持っている。したがって無計画に金儲けによって森林や地下水がどんどん減っていくのを黙ってはいられないわけだ。それをやっている人々は明日をもしれぬ生活のためにやっていることなのに、明日の心配をしないでいい意識高い系がそれを強力な権限でもってコントロールしているという構造は、まさに最強な権力なんだけれどね。それをやっている人たちはどれほど残酷なことかを知らないでむしろ善意でやっている。正義はいつも善意という名の権力者から無能よばわりされた人たちを苦しめ懲らしめる。神も仏もあったもんじゃないのがこの世の中の真実だよ。