至極の日常
いつもの
朝ちょっと目覚めるのが遅かった。でもなんとか寒い中布団から起き出して洗面所に行く。歯を磨いているうちに目が覚めてきて、今日の段取りなんかをぼーっと考え始めている。それから身支度をして時間になったら家を出る。ああ、今朝はちょっとだけ早めに出られたので駅までそんなに急ぐこともない。のんびり天気や公園の木々の紅葉や枯れ具合なんかを眺めながら毎朝すれ違う人のタイミングでちょっとだけ早めなんだと確認しながら歩を進めている。なんてことのない日常。でもできるだけ何か違ったことを探しながら歩くように心がけている。それでもそれほどの驚きがあるわけでもなく、少し早めに駅に到着したね。
当たり前の幸せ
いつも何気なく過ごしている日々が実は幸せの正体だね。え?と驚くかもしれない。だって幸せとはとびきりの特別な出来事であってスペシャルな時間でないといけないと思い込んでいるからね。そうやっておそらくはテレビやドラマや漫画などのメディアの世界では特別な幸せを植え付けられてきた。だからお金がないと幸せは実現できないとなんとなく思っているし、容姿が美しくないと幸せになれないと思っているから毎日の身だしなみと美容にはとても気をつけているし、素敵な誰かときっとどこかで突然出会えると信じているからこそ、つまらない日常でも我慢できると思っている。でも、それらは全部どこかで見たドラマや小説や漫画で夢見た世界であって、物心ついたこの方見ている風景は、いつもの通学、通勤の道中の世界でしかないね。思い切って見知らぬ土地へ旅に出たとしても、そこに広がる風景は日常とそれほど多くは変わらない。だからこそ自らスペシャル感を演出家のようになんとか絞り出していたりするね。
日常という奇跡
毎日なんの変哲もない、気がついたらそうなっていた世界を生きている。真実はそれこそが究極の幸せであって、夢見るドラマの中での主人公が演じる急激な環境の変化や素敵な人がたくさん身の回りを囲むなんてことはない。なぜ幸せが素敵な出会いとか恋物語の中とかクリスマスとかにしか描かれないのか。そこに疑問を持とう。スペシャルで衝撃的な出来事の中が幸せだとすれば、人生の大半は不幸になる。そうやって今生きているという奇跡を認めないで、そんなのなんてことないんだよと教えられてきたわけだ。それよりもありえないほどの幸せがきっとあなたも体験するよと踊らされて、それを夢見てほとんどは終わる。最後の最後にああ騙されたと思っても騙した当人はぺろっと舌を出しているだけだね。幸せは求めて得られるものではなくて、すでにあなたが持っているそのものなんだよ。それに早く気づかないと騙されて終える人生になってしまうから注意してね。