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日々

歳末

どこで区切っても同じだけれども、今年というのももうすぐ終わる。今年を走り抜けてきて少し疲れたと思っているのなら、ゆっくり休むといいね。とは言え年末年始も関係ない人もそれは言えて、何も特別休暇で休むだけでなく普段からしっかり休養を取るのはとても大切なことだよ。でも大人はどちらかというと休むのが子どもたちより下手くそな傾向にある。それを趣味や娯楽に変えてしまうからね。どうしてもプライベートを充実させようとしているけれど、逆にそれは休息になっていないことが多いね。もちろん趣味や娯楽を楽しむなというわけではなくて、それらさえも少し休んでしまうのが本当の「おやすみ」だね。休みを無為に過ごすことがダメなことのような風潮にすっかり騙されているけれど、心配しなくてもあなたは普段から実は何もしていないんだよ。

オン・オフ

生きるために必死に仕事をしているあなたは、実は何もしていないなんて到底認めることはできないだろう。でもそれは事実だよ。何かをしているふりをしているけれどそれはすべて社会という枠組みに対してのことだらけだね。生きるために現代では米や野菜を作るよりも、山でイノシシを狩るよりも、デスクワークで賃金を得る人が急激に増えた。その昔は「月給取り」なんて言われて、一次産業につくしかない農家の人々からは羨ましがられる存在だった。ところが急激に「月給取り」の比率が増えて、一次産業や自営業が少なくなったのが現代社会だね。だからこそ、「今の仕事をやめたら生きていけない」という図式が出来上がる。皆がそれじゃ田舎でほそぼそ食っていこうなんて言わないで、都会でどうやって生きるためのお金を稼ぐか競争から抜け出せない仕組みだね。オフィスワークはオンで、プライベートがオフなんて区別をつけて、人間にとってのオフィスワークは相当疲れるみたいで、その反動であるオフでようやく稼いだお金を使ってストレス発散しているという、まるで奴隷制度のようにお金のぐるぐる巻き連鎖という鎖から抜け出せないようになっているね。

勤め人

利益追求団体である会社という組織に所属しているあなたは、ひたすら利益の追求を今日もせっせと仕事にしている。利益とは誰かが払ったお金の余剰だね。皆がピッタリの額面上の費用を払えば、社会はそれで滞りなくモノやサービスがぴったり回る。理屈上ではそうなるんだけれど、現実はそうなっていないね。仕入れ値やコストから少し上乗せして多めにもらっているし、払っている。かつてキリスト教では100円のモノを仕入れて110円で売るのは悪行ではないと真剣に論じられた時代があったんだよ。だからこそ道徳学から経済学が生まれ、それは当時の為政者にうまく利用された。今でも経済政策が人気取りの主軸になっていることに変わりはない。寝る間も惜しんで働き詰めなのに生活が苦しいのはあなたのせいではなくて、実は皆が少しずつ利益をもらおうとする根本的な仕組みにある。だからオンでもオフでも常にお金を誰かが集める仕組みの中にいる。だからちょっと本当に休むのならできるだけ何もしないことだね。それでも家賃と光熱費はかかってしまう。できたら実家や気のおけない知人や友達の家で思いっきりなにもしないでいるのがおすすめだよ。