持ちつ持たれつ

日々

拝金主義

お金は大切だから無駄遣いはしてはいけない。そう教えられてきたしそれを守ってきたね。さらに、人から借金をして返さないような人とは距離を置いて関わらないようにしている。そういう人と関わるとあなたの生活がかき乱されるからだね。でもお金があれば何でも解決できるという最大公約数的な意味合いを信じているけれど、実際にはお金であなたの健康や安らぎは買えない。あなたの内臓がダメになって健康な人の内臓をお金で買うことは闇市場ではできるようだけれど、正規ルートのECサイトでポチッとはできない。愛情も買えるというけれど、お金が目当てでそれ以外はすべて演技だとしてそれはあなたが購入したと言えるのだろうか。おそらくはお金で買える部分というのはそういう表面的な部分だけのことが多いね。そして皮肉なことにその本質はお金持ちの人はすでに気がついているはずだね。

命とお金

例えばあなたが1時間の労働を1000円で売るということをやっている。その事自体になんの疑問も持たずにいるし、できれば1時間あたりのお値段を少しでも大きくすれば得した気分になるんじゃないかな。1時間1000円よりも2000円になればお金は倍になるしね。さらにその労働はできれば変わらないか、少しラクになるともっと得した気分になるね。そんなにいい仕事があるなら誰かに紹介したりしようと思うよりも、ちょっと内緒にしてしておこうと思ってしまうね。それもそれが有名になって沢山の人がわんさかと押しかけてきたら、1時間あたりの報酬が下がってしまうかもしれないからね。時間を売るということと内臓を売るというのは同じく命を売るということと同じことに気がついていない。あなたのその時間はもう二度と戻らない時間なのに、それに関しては有り余っているからお金に変えることに躊躇がない。でも2つあるから大丈夫だと言われている腎臓を売ることはたぶん抵抗があるし、それなりの報酬がないとしたくないだろうし、腕や目なんかはちょっと値段をつけられないんじゃないかな。

お金の本質

損得がすべてを判断する基準の多くを占めている。だから恨み、妬み、嫉妬という感情が生まれてしまうね。さらにお金が少ないことで将来への不安を感じたりする。ならいくらあれば安心なの?と聞かれるとおそらく十分な金額を提示するだろうね。何十億か何百億があれば大丈夫とかね。それほど必要ないのにも関わらずそうなる。お金が欲しいとか特別な感情を抱けば抱くほど遠ざかっていくのは、お金は常に流れているからだね。そういう流れているものを堰き止めて独り占めしようとするから、そこにはお金が集まらない。お金をたくさん持っている人はお金に関してそれほど気にもとめていない人が多い。こだわりを持てば持つほど苦悩が多くなるのと同じで、なんのこだわりもなければ気にすることもない。そう言っても現代社会においてお金は大切だね。でもこだわりすぎても増えるもんでもない。そんなことよりあなたが幸せと思う数人の仲間を持つ方が生きていく力になることが多いね。もちろんゆすりたかりをやれと言っているわけではなくて、相互扶助の世界でともに生きるという自然の法則に立ち返るということだよ。そこには損得勘定は存在しないからね。