指折り数える

日々

視点

毎日毎日細かく帳簿や収支を計算しているかもしれない。それらは不要とは言わなけれどそれで一喜一憂するのはあまりおすすめしないね。それと同じで毎日毎日血圧や血糖値を測定して健康状態を測っている人もいるし、スマートウォッチで今日の目標の歩数に達したかどうかが気になって、あともう少しで未達というのが一番悔しいからそのために遠回りして帰ったりしている人もいる。とにかく見える化とか言って数字にするとあとほんの少し足りないだけでも気になって仕方がない。そんな性質の人はもしかするとそれらの便利な管理グッズはやめておいた方が幸せになれるかもしれない。とにかく命に関わることであれば気にせざるを得ないけれど、もっと大局をつかむというか、数字の大小で右往左往するのは管理の本質として本末転倒だよね。

数値化

今年になっても相変わらず報道では何人とか人数をずっと数え続けている。それらの人たちの一人ひとりの状態や様子なんてことは全部割愛されている。そしてそれらの数値ばかり気にしてあなたの生活が決まるわけだね。その数値は本質的にどんな意味を持っていて、どういう分析ができるかなんてことはしっかり同じ報道で語る人はいない。ましてや、日本の数値がちょっとしょぼければ海外の大きな数値を持ってきて、とても大変な局面にさしかかっていると叱っめ面して伝えている。なるほど大変な局面なのであれば、具体的に一人ひとりはどんなことを気をつけて生活をすればいいのかということに関しては、全くアップデートされずじまいだね。もう2年も経っていろんな研究論文も発表されていて、もちろんそれらはすべて正しいわけでもないだろうけれども、それらをまんべんなく伝えようとする真摯な報道機関なんてものはもはやなくて、視聴率という数字を取れればいいというだけの利益追求団体として正しく機能しているわけだね。

読み取るもの

数字は抽象化の代表言語だね。知らない人も一人だしあなたの大切な人も一人として数える。特別な人だから二人分というわけにはいかないね。でもその一人はそれぞれの物語を持っている。でもそんなこと言っている暇がないので一人は一人としてカウントするわけだね。それらをカウントして平均やなんとか率を出したところで真実がわかるわけではない。統計分析上でいろんな数値が計算できたとしてもあくまでもそれは何らかの集計した数に依存するわけ。その数値がそもそも適当なものであればどれだけ精緻化しても精度は上がらない。いろんな考えの人がいて例えばあなたとそぐわない考えの人は全員抹殺すべきと思うなら、あなたも抹殺の対象の中にいることになる。そうやって攻撃して楽しんでいるのならまだしも、数値や研究をもとにいろんな議論があって当然だし、科学的根拠と言うにはたった2年であるわけがない。間違っていても正しくても数値を読み解けないのなら数値にする事自体が罪だからやめた方がいいね。感覚の人を否定することに使うための数値の価値はまったくないからね。