ノッてる?

日々

潮流

流れに乗るには、まずは流れを感じないといけないね。流れそのものがどんな風かということすらわからないと、流れに乗れと言われても一体全体どうしたらいいかわかるわけがない。ということは、まずは流れを見たり感じたりできることが必要なんだけれど、それ自体どうしたらいいかわからないという堂々巡りに陥ってしまう。おそらくこの最初の部分がわかるようでわからないから、ただ流れに乗れと言われても乗れない人がほとんどだと思うよ。潮目が読める人というのは常にセンサーを働かせていて、理屈で説明できない何かを総合的に見ている。一つ一つの感覚はバラバラで普通の人からすればノイズそのものでしかない。ところがそのノイズをもっと外側から俯瞰して感じたときに目の前に大きなうねりをはっきりと見分けることができる。いろんな勘所を言葉でマニュアル化するのがとても困難で面倒なように、潮目が変わったとか変革が始まったなんていうのは、なかなか他人に説明できるものではない。しかし見える人にはきちんと見える胎動のようなものなんだ。

ノリと勢い

その場のノリやうねりを感じてそれに合わせるということができる人とできない人がいる。誰かに誘われたら二つ返事でOKという人と、ちょっとメリット・デメリットなんかを考え始めてからOKだという人と、返事という反応では同じなんだけれども、ノリという感覚では全く両者は異なるね。二つ返事の人は何も思考していない。いわば脳があれこれと損得計算をし始める前に意識がそれを制御している状態だね。ところがまずメリット・デメリットで計算し始めているひとは感覚よりも思考に乗っ取られてしまっている。簡単な計算ならすぐに返事が見かけ上出せるけれど、もっと複雑な事情を抱え込むととたんにバッファオーバーフローを起こしてエラーになって無反応になってしまう。いつも損得を無意識に計算している人は見かけ上同じ感じにはできるけれど、やっぱりノリと勢いはそこにはない。後先考えずなにかに飛び込むという行動ができないからだね。

感覚と思考

思考で悩むのはおそらくは脳が発達した動物だけだろう。特に人のように自我を意識できるような常に計算できる力があるような脳を持つものに限られるね。他の動物はおそらくは感覚と反射反応がメインで生きている。だからまず自己という位置感覚はあってもエゴは生まれにくい。群れの中で暮らす動物は群れから離れると死を意味する。だから群れの中に沿った反応をしている。ところがその反応に違和感があればそのとおりにしない。だから違和感を感じると一瞬群れがバラけてしまう。ここが一番の捕食動物からするとチャンスなんだけれども、即座にまた群れとして殆どが行動し始めるね。特にリーダーがいて命令するわけでもなく、しかしながらそれぞれの違和感が全体の反応とぴたりと見事に一致する。これを脳の思考計算でやろうとすると個体差が大きくなって群れには戻れない。ノリと勢いは浅はかさをときには含む言葉だけれども、実は生存本能の一部でもあるわけだね。だから思慮深い人と言われて鼻高々なのもいいけれど、本来はノリと勢いを違和感で持って読み取れるのが本能であるし、それが生き残って今があるってわけだよ。