泡沫の夢
無から有
何かを創り出したり生み出したりすることは楽しいね。創作活動とかクリエイティビティとかカッコつけて呼ぶことがあるけれど、必ずしもそういった芸術活動だけではない。日常のつまらないと思っている毎日でもあなたはいつも無から有を生み出していることに気がついていないだけだね。朝起きて身支度をしているあなた。今日のあなたをきちんと身なりを整えて生み出している。昨日のあなたと同じようにしているつもりでもあなたは気がついている。昨日とほんの少しうまく行ったところとうまく行っていないところがあることをね。でもトータルでよしと思うところまで折り合いをつけて通勤・通学のために家を出ている。もしくは近所にお買い物に行ったりしている。そしてそれぞれの場所でいつもと同じように過ごしているけれども、それも昨日と全く同じで変化が微塵にもない、なんてことはないね。この前はうまく行ったことが急に今日はできなくなったり、またはその逆でさんざん頑張ったけれどうんともすんとも言わなかったことが、今日はスルッとできたりすることも体験しているはずだ。
粘土細工
例えばあなたは陶芸作家のように毎日粘土で何かを作っているとしよう。粘土を毎日こねることでおそらくは色んな情報をそこから感じることができるようになってくるだろう。外側から見物している人には到底わからないほんの少しの調整を当たり前のようにこなすことができるはずだね。そうしてその調子の粘土から何を創り出すかを感じ取っている。あなたがそれを決めたようで実はあなただけの何かではない状況や関係性によって決められるような感じだね。そして科学的・客観的に見ればだたの土から、あなたが思う形の陶器が次々に生み出されていく。まさにそのあたりの土があなたの手から様々な物体が魔法のように出現しているわけだ。でもいつもそうしているあなたにとってはたいして面白くもない日常であって、そんなことよりもっと納得できる風合いを持つ陶器をどうやったら作ることができるのかだけを考えていたりするね。粘土をこねているその手はいわば勝手に動いていて、日常化したあなたにとっては無意識に近い感覚でそうしている。
アート
美術や芸術なんて言う言葉は外来語であって英語のartを翻訳したものだね。それがカタカナになってアートと言うとまたそれとは違った趣がある。おそらくはそういった日々に様々な活動を通じて無から有にどんどんあなたは生み出している。けれどもそのどれもが正解ではないという感覚だね。これか、これでもか、という感じで次々と試行錯誤している。そのときの最適解を探し求めているけれども、その種明かしをすれば最適解なんてどこにも存在しない。要するにどこにも無いことを有ることにしているというわけだ。そうしないとあなたはあなたでなくなってしまうことに恐れを抱いている。それは死だね。いつか死ぬあなたが今何をしたらいいのか、どうせ死んでしまうなら何を言ってもやっても意味ないじゃんと思ってしまうことへの恐れといつも戦っている。その戦いをアートと呼ぶ。だったらあなたのその最大の恐れから覗き見るとそこには何が見えるのだろうね。