わかりません

日々

言い方

そんな言い方しなくていいじゃないの。ってよく言う人は気をつけた方がいいね。それは論理的に反論できないときに思わず出る自己防衛の言葉だから。正しいことを言われて動揺してこのままではまずいことが起こると思ってついそんな言い方になるわけだね。あとは、それってあなたの感想ですよね、なんていう言葉もブームになっているけれど、そもそもそういう発言はあなたはわたしより劣っていますという別の言い回しでしかないね。ま、ようする馬鹿ですか?と言われているのと同じだから言われた本人は動揺して感情的になったりする。そしてそうなることを見越して発言しているという構造だね。だからどんなに正論であってもそこから逃げ出した方がいいよ。それは論破するために仕込まれた罠でしかないからね。正論で論破して誰かが正しいとなったところで現実が好転することはない。なぜならただの論理であってそれを実現するための戦術にまで落とし込んでいないからだね。それは誰かの仕事であって発言している人の仕事ではないから、何を言っても高みの見物となる。本当に現実を変えたい人は正論で論破するよりもすでに行動に起こしている。そんなことをうっかり口にでも出したら、オマエモナーという反撃が必ず来るね。世の中すべてオマエモナーと心の中で思っているとどんどん良くなるはずだね。さてあなたは小さな一歩をどうやって踏み出すかな。

感情と論理

心を動かすことがないままに、行動を変容できないのが人間社会。だから為政者は論理的な整合性よりも感情に訴えかける施策をとった方が票が動くことを知っている。だから、今はやりの科学的なエビデンスなんていう言葉が出てくるし、ニュースのファクトチェックとか、従来でいう証拠や根拠を求める人が多くなってきた。噂話が真実になって民衆の心が動いてしまうとそれを元通りにコントロールすることは困難なことを知っているからだね。逆に操作すれば、都合のいい情報だけをきちんとお上のお墨付きをつけた上で断片的に流布させると民衆の心を操作することに成功して思っているように行動させることができることもわかってきたね。算数や数学なんて無味乾燥でつまらない教科として幼少期に植えつけておいて、今や実行再生産数とかよくわからない言葉でもってなんだか難しそうな言葉を巧みに使ったり、なぜだか副作用のことを副反応と言い換えたり、集団感染のことをクラスターと言ったり、検査陽性者のことを感染者と偽ったりしてる。昔の人はそれを煙に巻くといって詐欺の手口のようなことを平然としているのが今のマスコミの現状みたいね。

論破

理科も数学もよくわからないようにしておいて、急に流行病に関してはとっても難しそうな感じで伝え、専門家と呼ばれる人がなんだかよくわからないことを分かった風に言っている。それを首長が聞いて乏しい知識で行政的な強制執行に手を出している。それを合理的だと論破したところで、そもそも論理で動いていない民衆には届くわけがない。英語がわからない人に英語で話しかけても何も伝わらないかのようにプロトコルが違うわけだね。論破するのはそういう対象にはもってこいな行為なのよ。どんどん論理的に破綻するであろうところをYesかNoかで答えてくださいと仕掛けると楽勝なんだよ。そんな古典的な方法でマウントとっているのが現状なんだよね。実につまらん時代になったと思っているけれど、そんなことで遊べる状況であることは逆に良い時代でもあるね。明らかに論破する側はどんどん疲弊するしかないし、論破される方はそれを楽しんでいればいいね。圧倒的に強いのは非論理的でYesかNoかで答えられない感情的な民衆であることは歴史的にもみればわかるね。