休んだら負け
疲労
疲れたら休むのが基本なんだけれど、人間社会では疲れても休めないようにできている。いつも時間に縛られていろんな作業をやらなければならないし、休日という休んでも良い日が設定されていてそれ以外は原則何があっても休んではいけない。単なるルールなんだけれど、これをきちんと守るように幼い子どもたちに徹底的に叩き込んでいるのが学校だね。時間割があって大人と同じように決められた時間に登下校できるように鍛え上げられている。それはもはやどんどん変化している状況においても親がうるさく言わないのは、親が同じように会社に縛られているので同じように子どもたちが縛られていることがかえって都合がいいからだね。そんなことがコロナ禍で浮き彫りになった。だから会社はリモートワークになり、子どもはリモート授業になれば家族はずっと家に居ることになる。それは一見とても素晴らしいことなんだけれど、それが苦痛の種にもなっているのが現代社会だね。
安息
子どもが本来学校に居る時間なのに、いっときも目を離せないし、これまで昼食を用意することもなかったのにそれも考えなければならない。さらにはずっと家に居ることでお互いにストレスが溜まってイライラすることが多くなる。愛する子どもたちや家族なんだけれど実はお互いに行動が制限されて精神的に疲弊していくなんておかしな話だね。家族とずっと一緒にいることになれていないのが当たり前の社会になって、なんの前触れもなく突然ずっと家族と顔を合わせることが非日常なことになってしまっている。逆にそうやって家族がずっと居る生活に慣れている家はなんてことないね。それほど特に学校とか勤めることがおかしなことだったんだよ。でも今は多少のことがまたあったとしても、それこそ家に居るぐらいだったら会社のオフィスへ出勤した方がホッとするなんていう親も多いね。
サラリーマン
よく考えてみると、生まれたときからほぼサラリーマン養成プログラムが発動しているね。それを世間では一人前になるレールのように表現している。生まれてまもなく保育園、幼稚園を経て小学校、中学校。ここまで15年。そこからどうするかは自由なんだけれどこの国ではほぼ高校へ進学するらしい。その後も何をやってもいいんだけれどみんながいくから大学にいく。どうせ高い授業料を払って大学へ行くのだからいい学校へと受験競争をするのは、その後に控えているいい会社への就職という切符を手にするためだね。いい会社へいけば良い給料がもらえていい生活ができるというルールがそこにあるように見える。けれども法律などで明文化されているわけではないね。なんとなくそう皆が思うことでそれが成り立っているわけだ。今回本来行かなくて良いなんていうことが少しだけ垣間見えたけれど、多くの人がそれでやってきたからいまさら実はそれって幻想だよと暴露されると大変困った状況になったね。こういうのって少しずつ気がついた人が行動を起こしていくんだけれど、それが2割を超えると一気に瓦解するらしい。けれどもまだまだそこまでには到達しないみたいね。本来あるべきように暮らすと疲れる社会はもう少し続くんだろうね。