嫌われろ

日々

ポジショントーク

現代はなぜかポジショントークだと揶揄する傾向がある。これは全く不思議なもので立場を明確にするからこそ、その人の意見がはっきりと表現できるからだ。おそらくはSNSが発達したせいで誰もが発信することができる時代になったのも影響しているんだろう。けれど自らの意見を言う場合は立場をごまかしたままではだれにも伝わらないね。おそらくは何らかの爪痕を残すために考え出した言葉が「ポジショントークだから」というコメントだろうと推察できるけれど、それを言ったが最後明確な意見を表明することができなくなる。最終兵器みたいなもので、自爆ボタンと同じ威力を発揮する言葉だね。

間違った意見

意見とはそもそも答えがない問題に対する考え方の表明だね。だから間違った意見なんてものはない。間違うのは正解があるにも関わらずそれとは異なった答えを出した場合にのみ成立する。まずここが一番重要な部分だけれどほとんどの人は正解がある前提で答えを探している。だから答えがない問題に対しても、いやいやきっと裏側には答えがあるだろうと正解を探し求めてしまっているね。びっくりするぐらい意見と感想や反応の区別がつかない人が多い。さらに文脈や文字間を読み取る能力が乏しいから、真正面からの議論になることはそもそも皆無で、まるで次元が異なった言葉が行きかうだけになってしまっている。そうして当人は本気で間違った意見を正したと思い込んでいる。意見にはそもそも間違いは起こりえないのにね。

他人の目

もう一つの理由は明確に立場を表明することを極度に恐れている。好き嫌いをあいまいにして表現することで、なんとなく気配りができるいい人を演じたほうが好かれるだろうという打算がそこには見えるね。でもよく考えてみたら、そうやってうまいことごまかしてよくわからない言葉を発したところでそんなあなたのファンになる人はいない。なぜなら結局どうなんだというところが誰にも全く伝わらないからだね。ということは、何も言ってないのと同じということになる。あなたの意見に賛成する人ばかりではなく、反対する立場の人もいて豊かな社会が形成される。だから反対を恐れて本音を隠すなんていうことはマイナスでしかない。特にこれから社会の中心になる世代には、はっきりものを言ったほうがすべての面でプラスになるということを今の大人がしっかりと実践しなければならない。嫌われるのが怖くて何も言えないとか寝言を言っている間に、心配しなくてもあなたはしっかり無視されているんだからね。現実を直視しようよ。