ひとやすみ

日々

大丈夫

あなたはそのままで大丈夫だ。間違いない。どうして言い切れるかってあなたはすぐに疑う。そもそも疑うから不幸になる。すべてを委ねて信じればいい。だけどそんなことをすれば足元見られると思っている。思っているからこそ「そらみたことか」ということが生まれる。疑っていなければ何も起こらない。いや正確には起こっているのだけれどあなたはそれに気が付かない。そこまで聞くとやっぱり損しているじゃないの、と思うかもしれない。損か得かはものさしがあって客観的に判定する委員会があるわけではないね。それを決めているのもあなた。なら気が付かないのならそれはないのと同じだね。知らないところで損しているなんて許せないと思ったところで、知らないんだから怒りようもないよ。

のんびり

いつもあなたは急いでいる。すぐにやらないといけないと思いこんでいる。すぐにやることが良いことだと思っている。それはどうしてだろうね。夕日を河川敷の土手でずっと眺めていた頃はそんなこと考えたことはなかった。時間が永遠に続くように思えて、自らの明日を夢見ていたね。それからあっという間に時が過ぎたように思っているけれど、あの頃と今とは何も変わっていない。変わったのはあなただね。そうあなたが変わったのなら話は簡単であなたがそれに気づいてしまえば解決だよ。慌てないで目の前のことをもっと大切に丁寧に過ごそう。結果を出せ、スピード上げろ、限界を超えろ、なんていう声はどこから聴こえているのかな。そんな人がいるようでどこを探してもいないね。その声を張り上げる鬼コーチは実はあなただったりするよ。

脱力

息を整えて余計な力を抜くことは、楽器の演奏でも武術でも書道でも言われる共通の所作だね。やろうとしてやっているつもりなんだけど思ったとおりにはいかない。そのギャップをどう埋めていくかというのがその道を極めることだとされているけれど、実際やってみるとわかるのは、そのできた瞬間は無だってことだね。だからうまくやってやるぞと思っているときは全くそのとおりにならない。けれどある日突然何気なくやったことがマスターピースになる。その瞬間の気持ちはまさに「やってやろう」なんて微塵にもない。だからうまくいったという実感がまったくない。絶妙なバランスで絶妙な呼吸でひとつになったのに、あれほど待ち望んでいたことなのに、できた本人には全くの実感がない。だからもう一度それを味わおうと思ってやってみるも、そうすると今度はうまくいかない。それが極意なんだよ。やろうとしてやるのはうまくいかないのならもっと力を抜いてリラックスしていればいいだけだね。なーんだ簡単じゃない、と思うかもしれない。けれどやってみるとわかるけれどこれが一番むずかしいことだね。「やってみたら」わかるね。