Oh, No!
自己責任
自由を手にした代わりに自己責任だという人が多い。ならその逆は服従とか奴隷とかを想定しているのかな。自己責任論を盾に他人を批判ばかりしている人はなぜか少し怒っているような感じがするね。これは現代社会の病の一つであって、逆に言えば人は一人では生きていけないというのもある。多くの人の支えがあっての「おかげさま」で生きている。この地球に一人ぽつんといたとしてもすぐには死なないだろうけれど、今の悩みや苦しみも、さらには喜びも同時に消滅してしまう。それなら自己責任だから好き勝手させてというせめてもの言い訳として使われているだけなのかもしれないね。
他人任せ
でも、自己責任はとてもじゃないけれど効率が悪い。得意も不得意も全部一手に引き受けてまんべんなくやらなければならない。それは現代風に解釈しても非効率だね。得意なことに集中してやるほうがやってる本人も幸せだしその成果も多くの人を充足することができる。だから社会では高度に分業が進んでいったわけで、それをまたもや振り出しに戻すような論理が自己責任論だ。家事をきちんとやりつつ、仕事にも遊びにも全力投球、なんていう聞こえのいい言葉を使って喧伝しているけれども、遊ぶことが得意であればそれだけをやり続けたほうが良いに決まっている。仕事が得意な人は専念したらすごい結果がでるだろう。家事に長けた人はあっという間に片付けてしまうだろう。そうするとトータルで余力ができる。余力とはすなわち豊かさ源泉だね。だからこそさらにそれぞれがブラッシュアップできるわけで好循環がそこで生まれるわけだよ。
禁止事項
そうやって不得意なことを捨てて、好きなことや得意なことに熱中することで充実した日々が過ごせることは間違いない。だからできないこと、不得意なことは放り投げていい。そんな事言うとみんが仕事せずに遊び回って社会が成立しなくなると言う人が出てくる。それはそう教育されてきた結果にすぎず、滑稽なことに好き勝手やったら収集がつかなくなる社会を実現できる可能性を持っている生物は人類だけだね。他の自然界を注意深く観察すると逆に嫌なことを率先してやっている生物は存在しない。どちらが自然そのものかと言われたら、好き勝手やっているのがそれだと言う方が健全だと思うよ。不思議なもので、人間だけが「禁止」ができるようになった。すべての戒律や法律は「やってはいけない」集だね。おそらく脳というか肉体や身体は思うがままに動き出そうとする。これが自然そのもの。ところがそれでは社会が困るからそれを禁ずる文言を古来から決め続けて今があるってことだね。でもすごいことはあなたの脳や肉体がやろうとしていることを「止めている」のは誰なんだろう。やろうとするのはあなたの脳、それをとめるのはあなたの理性。あなたは一人で二人いることになる。とても不思議だね。