やじろべえ
朝ごはん
朝起きて今日もいい日でありますようにと思いながら支度をしているね。朝は慌ただしく過ぎて朝食もだんだん適当になってきて、ついには食べるのをやめた。ずいぶんとお腹が空いて集中できないかなと思っていたけれど、コーヒーを一杯飲むだけでなんとなくごまかせる日も多くなってきた。でもちょっとすっきり熟睡した感じがなくて寝起きから少しだるいというか、身体のエンジンがいまいちくすぶっているから食欲もそれほどないのかもしれない。早起きは三文の得とか昔の人は言ったけれど、それは早寝がセットになっている話だ。要するに睡眠時間をしっかり確保できるという前提でいうと前倒しにした方が今流行の「朝活」なんてのもできてしっかりお腹が空いてがっつり朝食を食べてから出かけることができるだろうね。とにかく覚醒してから十分に時間をおいた方が何事も効率が上がるんだろうとは思っているけれど、人生のスケジュールは常に押しまくって後ろ倒しになっているから眠る時間がだんだん深夜からもはや早朝ぐらいまでずれ込んでいる。だから朝はすっきり目覚めるという体験が少なくなってしまっているね。
夜行性
よくよく考えると不思議なもので、人は夜になると眠り、朝になると起きて活動する。何を当たり前のこと言ってるんだと思うかもしれないけれど、夜行性の動物も一方でいるわけで、どうして人だけはその選択をできるのかということだね。夜勤の人はまさに昼夜逆転している生活を送っている。あなたもその経験があるだろう。別に仕事でなくても週末は眠るのがもったいなくて、明日はお休みという安堵感から繁華街でオールしたりとかも若い頃はあったね。とにかく休みは遊びたいという欲望のまま、できればずっと遊んで暮らしたいという思いで始発電車まで遊び呆けたけれど、その帰り道はいつも疲労感と少しの虚しさを感じていた。今ではそんなことがめっきりなくなってしまったけれど、あの頃はそれで幸せだと思いこんでいたね。その反動で週明けの月曜日どころか、日曜日の午後からもう憂鬱になっていた人が多かったんじゃないかな。週末に一気に弾けるような生活はやっぱり自然と無理が生じて誰しもが離れていくみたいね。
生きる時間
極端な刺激を求めて遊び回ってみても、結局は満たされない。正確にはその時はとても楽しいと感じれば感じるほど、そうでない時間がとてもつらくなってくるね。もう週末が待ち遠しくて次の休みを楽しみにするだけの人生となる。それもやがて飽きてしまうともはや絶望しか残らない。でもそうなって絶望の縁をトボトボ歩いているとそれはそれで楽しみがあることに気づくね。メリハリのある人生を太く短く生きると言って、楽しむことが生きる目的そのものだと思っていた。けれどもそれは単なるワンシーンに過ぎず、ちょっとした苦しみや苦さがアクセントとして上手に演出してくれていることも知ったね。苦味があるから旨味をより感じられるということに深い納得を得た。そうすると太く短くといった思考ががらりと変わって、細く長くも悪くないと言い出す。そのどちらも極端な二元論であって本当の人生はそのどこでもないんだけれど、そうやって振り子のように触れることで自らの振幅を知る。そうやって揺れ続けてやがてど真ん中で静止するときまでが生きる時間なんだろうね。だからコロコロ変わっていいね。むしろ180度変わり続けていよう。やがて静止するその時まで。