怒りの原因はあなた
無反応
何が一番つらいって嫌われたり悪口言われたりすることではなくて「無反応」だね。このノーリアクション作戦は本当にどうしようもなくなる。まだ悪態ついて反応してくれたり、「うっせーよ」なんか言ってくれる方が100倍マシだね。たとえば、勉強が嫌いで心を閉ざした少年をなんとかしてくださいとお願いされることがあったんだけど、そうやってリアクションしてくる子は結局はなんとかなったし、嫌というのも実は彼の反応に過ぎず、勉強をしなければならないということがあるから、それをどうのうこうのと意見を言うことができる。もし勉強というものがなければその嫌という感情も同時に消滅するね。それと同じで、嫌いとか嫌だから怒りさえ覚えて悪態つけるのも、その嫌な存在を認めるところから始まっている。だからむしろその嫌な存在に対してフォーカスしている状態であって、無関心ではなくむしろ好きと同じくらいの注目度だね。それだけ気にしているという証拠でもあるから、関心がないふりができるのも同じ仕組みって言うわけだ。
怒り
怒りがあるということは、あなたのルールにそぐわないことがあるということ。怒りを分析するととてもシンプルでがっかりするぐらい薄っぺらいね。ああするべき、こうするべき、というあなたのルールから外れたものに対してイライラする。それだけなんだよ。だから怒りを無理に抑えなくてもよくて、怒りを感じているときに一呼吸おいて「ああ、自分流のルールにそぐわない行動があったんだな」と思い直せばいいね。この怒りは反射的にカッとなって起こったふりをするんだけれど、実はこういう論理的な構造が故に「わざと」自らが起こしていることにも気づくね。いやいや、ついカッとなることってあるよね?という人がいるだろうけれど、そういう人は「ついカッとなるようなことを起こすのが他人」だという色眼鏡で「怒りの対象」を探し続けているんだよ。獲物を探す野獣のようにね。そうやって血眼になって見つけだし「そらみたことか!」と自らを「カッとなった状態」にして相手の息の根止めるまでの狩りのような一連の儀式だというマイルールにしているだけだね。あなたのルールにそぐわない違反者を常に見張っている状態が好きで、あえてあなたが好んでそうしているだけなんだよ。
あなたのルール
あなたの常識や「べき論」で構築された人としての「ルール」は、あっさりと他人に踏みにじられる。それはあなたが自身のルールがあなたが決めたものではなくて、あなたがたまたま育った環境で誰かが捨てていったものを拾い集めて構築しただけのものなんだ。いやいや先生や親から教わったことを忠実に守っていると言うけれど、そのすべてを取り入れている人はゼロだね。あなたが気に入ったものを取り入れているだけで、気に入らないものは無意識に捨てている。その中で矛盾が生じることが度々あるから、それをまたどこかのルールでパッチを当てるように継ぎ接ぎだらけにしてなんとか形を整えている。そうやってあなた自身もそれに必死に合わせようと試行錯誤しているのにも関わらず、それをガン無視して楽しそうにしている様子に過剰に反応した結果の一つが怒りだね。他人のそれをなるほどと受け入れるか、気に入らないなら無視すればいいだけのことに対して「ずるい」と思う気持ちは「かまってほしい」という気持ちの裏返しだね。そこから様々なリアクション方法がある中であえて選んでいるのが「怒り」という表現方法となる。だから「あえて」選んでいることになるんだよ。