ご意見をどうぞ
意見
誰かにあなたは意見はどうですか?と聞かれることがある。例えば会社の会議でも趣味のサークルでも何か大きな方向性を決めなければいけない時なんかはそうだね。なぜか日本だけの話らしいんだけれどはっきりと自らの立場を明らかにして意見を言う人がほとんどいない。逆にポジショントークだと揶揄されたりすることの方が多いのかな。おかしな話でポジショントークは必然で自らの立ち位置をはっきりとすることでしか意見することができない。例えば原発を推進するのか、廃止するのか、あなたの考えを明らかにしてから意見を述べるのが通常だね。それを曖昧にして誰かが賛成ですと言った言葉尻を捉えて反応しているだけの人がほとんどのように見える。特に否定的な反応はなんだか奥行きがあるように見えるからソッチのほうが聞こえがよかったりするね。原発は避けられないので今後も少しずつ稼働していくべきなので賛成です、と言ったなら震災で苦しんだ人の気持ちがわかってないとか、あなたは当事者じゃないからそんな悠長なことが言えるんだよとか、まぁ見事に意見ではない反応としてリアクションで心折れるね。前向きに検討していくしかないと言っているだけなのに、まるで悪魔のような扱いになるのがこの国の特徴だと言えるね。
計算ドリルと問題集
どうしてそうなるのかは明らかだね。自己を形成できないまま大人になってしまったのがその理由だ。特に幼少期から計算ドリルと問題集ばかり与えられて、それに正解することが勉強だと押し付けられてきた。だからどんな社会問題でも「正解」があるような誤解をしている。もしくは正解がないと知っていても、賢い先生のような人がきっとベターな正解に近い答えを言ってくれるはずだと思いこんでいる。変な話芸能人が政治の話をすると、素人がだまってろ、みたいな発言が平気で飛び交うことになるね。いやいや芸能人であろうが、サラリーマンであろうが政治に関心をもって社会問題について自らのあたまで考えて意見を表明することは民主主義の根幹だよね。それを芸能人風情が何を言っているんだ的な発言に対して違和感を感じないのが今の学校制度の弊害だと言えるね。病気のことや身体のことを自分の体験や意見として述べるだけで、専門家じゃないのに発言するなと制する。そういっている本人も専門家ではなかったりするオチなんだけれど、こんなことでは正しい議論ができる土壌がないね。だから政治もみなさんの「リアクション」でしか世論をコントロールできなくなる。だからそういった政府が出来上がるようになるわけだね。
多様性と豊かさ
いろんな考えの人がいるほうが絶滅しなくてすむ。マンモスに襲われたときに海に逃げるか山に逃げるかで意見が分かれたとき、全員が専門家が海に逃げたほうがいいと言ったからといって人の意見と顔色に合わせて行動していたらすでに絶滅しているかもしれないね。意見には「正解」がないからこそ、はっきりと表明することで誰かの助けになるという仕組みになっている。しかしながら現代社会では「人の意見」は気に入らないから叩き潰せという行動がSNSなどによって見える化したね。だから毎日不毛なやり取り、アンチコメント、クソリプでほとんどが埋まってしまっているね。それでも呪詛の言葉だと知らずにつぶやいている本人は、世のため人のためだと思いこんでいるところが悲しい。あなたは自分の意見を明確に述べることはなく、単なる揚げ足取りだったり、専門家じゃないとかいう肩書による偏見だったり、性格に対する攻撃だったり、やってみたこともないのにだとかそういう「反応」でしかない。そんなことに長けるよりも「自分でうんうん考えた意見をはっきりと表明する」ことを練習した方がいいね。でないと、いつまでも人の顔色ばかり見ているとそのうち絶滅するかもよ。