そこに愛はあるんかい

日々

生きるチカラ

いつも元気に前向きに、明るく朗らかに過ごそうなんて小学校で校長先生が言いそうな言葉だけれど、それ以上に生きてきてそんなふうに感じられた期間はどれくらいあったかな。まぁ、基本前向きとまでいかなくてもできるだけプラスの面に意識をフォーカスしてネガティブにならないように色々工夫してきて今があるね。明るく振る舞ったりはしたことはあるけれど、本質的に湧き出るそれではないから空元気に終わって場が白けてしまったりとかも経験したこともある。もう悲観一色に染まっていいやとずっと涙に泣きぬれた夜もあっただろう。でも今は違うね。人生は楽しいかいと宇宙人に聞かれたら、あなたはとりあえず「まぁまぁ」と答えられるようには準備しているつもりだけれど、今の所そう言えるかどうかの瀬戸際のところで行ったり来たりしてる状態だね。なら一層のこと死んでしまった方がマシだと思うかといえば、まだそこまでではないという頃合いかな。

だいたい禁止

そんなあなたたちにとって煩わしいのがおおよそ世間のルールという「禁止」の塊だね。良かれと思ってやったことを咎められたり、少しでも前に進みたくてとりあえず対処したことを叱責されたり、禁止ルールは「どうしてそういう行動をとったのか」という理由の如何を問わず「ダメ」と頭ごなしに命令されるだけだ。もちろんほとんどの禁止ルールや強制は、誰かの都合が良いことだと透けて見えるけれど、すべてにそのルールを当てはめるとかはどうかしてるね。一度決めたことだから一ミリも破ったら厳罰だとか、ルールを守らないとひどい仕打ちを連帯責任とかで関係のない関係性を破壊したりと生きる活力を奪ってしまう。そういう意味では禁止ルールの活用には最新の注意を払う必要があって、厳格に運用すればするほど社会全体は死に近づくことになる。社会や組織の活力がなくなれば、それを運用している指導者も無価値になるという構造だからよっぽど注意しないといけないね。

リスペクト

そんな同じ社会を生きる仲間として、あなたはあなたをリスペクトしなければならない。それは同時にあなた以外もすべてリスペクトすることになるね。まずは目の前のみんなに感謝と尊敬を見出すことが明るく朗らかに生きるチカラになる。どいつもこいつも全員ダメだと思っているうちは、誰一人もあなたに真の笑顔を見せることはないだろう。ダメという禁止ルールでなにかの価値判断をする組織は、長い歴史の中では泡のように消えていく存在でしかないね。愛といえば馴染みが少なく、誰も愛について定義することは難しい観念用語だけれど、敬意を払うということも同じ類の言葉だから、愛はそこにあるのかという問いは誰も解決できないし、今後もおそらくはできない。けれど愛はそこにあるのか、という問いを持ち続けることが愛に一番近づけるのかもしれないね。マジリスペクトー、ってちょっと古いか。