ラストチャンス

日々

思い出の中

いろんなことがあったと今思っているね。もう幼い頃のことはよく思い出せないほどになってしまった。もっと若かった頃は記憶が鮮明に残っていてどちらかといえば覚えている方だと自覚していたけれど、もはやどんどん忘れてしまっているし、特に人名なんかは人に興味を失うのと同じくらい名前に興味関心がなくなってしまったせいか、まったくもってもどかしいぐらいに名前が出てこないね。正確には覚えているんだろうけれどそれを引き出す鍵がないというかそんな感じだね。周りの状況証拠から色々考えていると思い出せるのかもしれないけれど、ま、そこまで苦労して思い出したところで何も変わらないとも思っているから余計にそのままになっている。若い頃は思い出は貴重な体験であり未来の夢をそこから描き出す元だったから、とても大切に扱っていた。けれど今やそれがあってもなくてももはや何も変わらないところまで来ているので、面白いほど急速に捨てている感じがしているね。

青春

甘酸っぱい思い出の代表としては青春という愚かな過ちの記録集がある。誰しもふと思い出すと恥ずかしくてどこかに隠れてしまいたいと思うことばかりだろう。それもしばらくするとどうでもよくなるね。どんどん青春から遠ざかっていけばいくほどいい思い出として蘇ることもなく、おそらく自らがしでかした愚かなことすらも記憶がどんどん消えつつあるね。まじで忘れているというのが感じられる。そもそも青春なんてあったのかと思うぐらいすっかり抜け落ちている。あれほど悩み苦しみ、一番苦い経験をしたはずなんだけれど、もはや今となってはどうでもいいね。それがやっぱりあったんだよと言われてもそうだったか、と思うぐらいだし、実はそれはなかったんだよと言われても、ああ、そうなんだ、ぐらいにしか思わない。とにかく過去の思い出に年老いるととらわれるとか言うけれど、ちょうど端境期なのかもしれないね。今の所過去に全く興味がなくなる時期なのかもしれない。だからあれほど夢中になって読んだ青春物語なんかは、全くホコリを被ったままになっている。

どこを見ているか

今はどこを見ているのかといえば、終わりを見ている感じだね。どうこの人生を終わらせるのかということに関心が向いている。ドラマでも小説でもエンディングが大切だね。終わりよければ全てよしという言葉もあるように、いつの間にか始まったこの人生劇場をどんなふうに幕を下ろすかということに意識が向かっている。だから過去の細々したことも伏線回収に必要であれば思い出す必要があるだろう。けれど今の所伏線を回収するほどのドラマティックなシーンは見当たらない。特に何かをやろうという意欲もどんどん低くなっていくのも、人生の終盤を意識し始めているのかもしれない。一番大切なことは最後まで自分の力で動けることだね。それができないとなると大きく書き換える必要が出てくるからね。さて、どこまで自分の意思で動けるのか、その間に何ができるのだろうか。あと何回新しいチャレンジを始めることができるのか、そこが一番の注目点だね。