幸せのカタチ

日々

占い

占いを楽しむのは特に問題ないと思うんだけれど、すべてをそれに預けてしまうのはちょっとやりすぎかなとも思うね。占いが好きな人はそれだけ潜在的に不安が大きい人なんだろうね。何が起こるかわからない現代社会を生き抜く上でのヒントとしていい方向に活用するには特に反論はないんだけれど、ネガティブな内容を含む占いにはちょっと反対なんだよ。そもそもあたりもしないんだから良いことだけ言っていればいいなんて言うと傲慢に見られるかもしれないけれど一日の初めにそんなコメントを読んでしまうことのマイナスを考えると、エンターテイメントの一つとしての配慮が欠けている気がしてならないね。ま、当たるも八卦当たらぬも八卦なんだから楽しめるぐらいがちょうどいいね。どこかのテレビではランキングとかにしてるところがあるけれど、あれはいくらなんでも下世話すぎて個人的にはやめたほうがいいと思うんだけれど。どうだろうねぇ。おそらく社内でも格付けランキングされているんだろうなぁと勘ぐってしまうよ。

ジャンル分けされた運

占いには恋愛運とか仕事運とか金運とかカテゴリで分けてアドバイスがあるのが今では普通なのかな。だから恋愛運が特に最高です、とか言われてやっぱり嬉しいのかなと思ったりする。素直にポジティブな部分は受け入れて勘違いであろうがそういう気分アゲアゲで過ごすことが幸せであることは間違いないんだけれど、恋愛運とか金運とかジャンル分けされているのにややひっかかるね。恋愛運が良いけれど金運が最悪とかそういうパターンは人生においてなにを表しているのかと考えてしまう。恋愛が幸せの形であると決めつけているところに違和感があるし、金運が最強だからといってあぶく銭が手に入ったところでそれは幸せなのかな。仕事運なんてさらによくわからないけれど、仕事がうまくいくとかいかないとかを考えているのはそれ自体ではなくて立身出世とか昇進とか昇給とかという付随する結果を期待しているからなのかな。とにかくあまり真剣に論じると下世話過ぎてよくないけれど、幸せのカタチが一方的に決めつけられている段階でちょっと興ざめになるのはやむを得ないのかもしれない。

運は自己暗示

運を掴むには唯一つの方法として、ポジティブな自己暗示に限るね。だから占いなんかは悪いことを言わなくてもいいし、ジャンル分けして運勢の良さを言わなくてもいいね。そんなことより今日一日がどう考えても最高の一日なんだからたとえ何が起こっても最後にはラッキーなんだから明るく元気に過ごしてね、っていうメッセージで十分だと思うし、その方が結局はあたったと感じる人が多いと思う。占いを生業にしている人たちに言いたいのは、いいことだけを言うのが使命だと思うよ。そもそも人生において良いこととか悪いこととかはスポットで判断するからそう見えるだけで、すべてが波動であれば当然のことだね。上がったり下がったりする局面だけとらえたところで連続している波動を説明できるはずがない。もっと大局的に占えば、すべてが結果オーライになるに決まっているわけで、そう見えるかどうかも人生短い中で決断をくださざるを得ないから不幸な結果になるだけなんだよ。幸せに形を決めると不自由になるのでそういう類のものは避けたほうが無難だと思うよ。