ここは満タン
満たされている
ここは一体何に満たされているのか。見渡す限りにおいてはなにもないように見える。なにもないといえば空虚と同義に捉えがちだけれど、冷静に見てそんな感じはしない。もっとよく自分の周りを見てみると、なにもないと思い込んでいただけですべてがいつの間にか揃っていることに気づくね。出かけるための靴や衣服、電車に乗るための電車賃、ものを抱えるためのかばん、暇つぶしのためのスマートフォンなど、逆にこれ以上何が必要かと聞かれたら答えに困ってしまう。でも、もっといい靴が欲しいし、もっとかっこいい服があると更にいいし、かばんもそういえば何年も買い替えてない。だからいつも足りないと思い込んでいるね。もちろんいずれはくたびれて買い換えなければならない時が来るのは知っている。けれど今冷静に見てすべてが完璧に揃っているのは事実だね。
境遇
確かにモノで言えば大きく不足しているものはない。それぞれには多少の不満があったとしても、機能としては今の所十分であることはわかった。しかし人生はモノだけで充実するわけではないね。やりがいとかチャレンジとか一攫千金とかまでいかないでも、もう少し生きることに情熱が持てるような仕事をしたいと思っている。理想の仕事っていうものはどこかにあって、いつかきっとその仕事に出会える日をなんとなく楽しみにしている。ところが人生も後半になっているのにも関わらず、そんな仕事に出会えない。そのための能力をもっと磨かないとダメなのか、そんな才能がそもそもないのか、一度人生のレールを踏み外したら二度と復帰できないのか、何がダメなのかいまだによくわかってないね。そんな自分でもやれることがあるのは知っている。それとやりたいこととがリンクしないのも散々やってきたから知っている。ならやりたいことは何と聞かれたら、結局は誰かが喜んでくれること、みたいな抽象的な部分で完結してしまう。もっと楽しく健やかにのびのびと仕事がしたいなぁとぼんやり思っている。
お金
そういう生き方だからお金はあってもなくてもどっちでもいい。逆にあるときの方がお金にかなり縛られていたから、少し足りないぐらいがちょうどいいね。とはいえ、やっぱりなくなれば色々制限ができて鬱陶しい。お金ごときでそんな思いするぐらいならと思ってしまったりするね。だから真面目にお金について考えたりもする。自動的に家計簿をつけてくれるソフトウェアを入れて入出金はぼんやり見ている。急激に不足したりしないようにだけ気をつけている。そこにこだわってお金を最大化するような生き方が求められる自己責任の時代なんだけれど、本当はお金が少し足りないから色んな人に頼って工面するぐらいが冒険だと思っている。なんでも自分一人で稼いで解決しなければならないと思い込んでいる人が多いけれど、いずれは誰かに養ってもらえたらそれはそれで楽しそうだと思っている。誰か一人お金を持っていれば、それだけで楽しかったあの頃に戻りたいという懐かしさもあるね。基本お金は遣い方さえ間違えなければ遣ったら遣っただけ入ってくるようにできている。深呼吸のようにね。たぶんそれをやってみたいと思っているだけなのかもしれないね。