日々

壁はそれを乗り越えることができる人だけにできる、と言われているね。だから壁にぶち当たって辛い目をしている人には、必ずその壁を攻略できる力があると信じていいという話だ。けれどあまりにもその壁を克服するのが難しければ一旦そこから離れることも大切だよ。何にせよ無理はよくないね。多少の無理は負荷となって成長するきっかけになるかもしれないけれど、今のところどう頑張っても不可能だと思えばそれ以上のことをしてはいけない。真面目なあなたはついそこも気合・根性でなんとかしてみせるとか思ってしまうかもしれないけれど、無理なものは無理として諦めるということが最も大切なことなんだよ。壁は乗り越えられる可能性を含んでいるけれども、壁はいつまでたっても絶対的に立ちはだかる壁であってそれをいかに回避するかという側面も持っているのだからね。壁はやっぱり壁だと再認識することで別の迂回路を見つけるという意味でもあったりする。

できないこと

どうしてもできないと、それがダメなことだと思ったりあなたの欠点なんかにしたりする。でもそれはもう少し待ったほうが良いね。そんなことより得意なことでなんとかならないかなと考え直す方が建設的だと思うよ。走るのが遅いあなたが頑張って1位になれるように努力することよりも、走る競争から速攻降りて、違うところでなんとかならないかなと思う方が健全だね。世の中の悩み事のほとんどが「無理な方向」で「不利な条件」で勝負させられているわけで、まずはそこをいかに回避できるかというのが本質的な解決方法なんだよ。なのに「それができないと一人前ではない」とか「若い頃はさんざんやってきた」みたいなマウントをとって自慢してくる先輩のせいで、そこが人生の「登竜門」かのように錯覚をさせられてしまっている。そんなのは軽く聞き流して、あなたならどうする、という新しい手法で乗り越えられるならそれでいいし、乗り越えられないなら迂回すればいいだけだよ。

攻略法

壁を乗り越えるべき目的は、神様が与えてくれた試練の如くあなたのためにそれは出現したとよく言われるね。確かにそうかもしれないと思ってよじ登ってみてもいいけれど、やっぱり無理だなと思えばすぐに離れるといい。もしくはわかったふうに言う先輩の言葉は参考にすればいいけれど受け入れることは必要ないね。その見極めはじっくり真剣にやらなければならないということも考えなくていい。もっとカジュアルでいいしその場のノリで「ああ、無理っす」の一言で十分だ。なぜならそれ以上熟考したところである日突然急に壁によじ登れる力がつくわけではないし、超能力を使えるようになることもない。おそらくそもそもその壁を「乗り越えなければならない」と思っている事自体が間違っているかもしれないしね。壁があなたのためにできたということは、その方向にいかないほうが良いという教えかもしれない。なんでもよじ登って向こう側を見てみようなんて言うふうに捉えがちなのは、ゲームの攻略方法を知りすぎたからかもしれないよ。