絶望の中の希望

日々

チャレンジ

何ができるのかわからないからこそ、いつもやってみようと思うわけだね。ところがほとんどがノートラブルでスムースにいくわけもなく、やっぱり何もできないのかと落胆することが多いね。でも結局やってみないことにはできるかどうかもわからないと思って何度も何度もチャレンジするわけだ。だんだん大人になってずるくなるとやってみないでも大体できるかできないかは想像がついたりする。そうするともはや落胆することを恐れてやってみようともしなくなってしまうね。そうすると人は急速に老けることになる。チャレンジとは新たなエネルギーの流れだから、それを取り入れないで滞留したままになるからだね。そうやって繰り返しチャレンジをし続けられる間は生きる活力をなんとか保てるということになる。

エネルギー

失敗したときの落胆は期待値が大きいほど大きくなるね。今度こそうまくいくだろうと思って丁寧に仕上げたつもりでも、ほんの少しのケアレスミスで台無しにしてしまうと、その瞬間は絶望して再起不能だと感じてしまう。それはもう後戻りはできないと覚悟を決めてやったからこその思いだね。でも面白いものでそう思ってやったつもりでもケアレスミスがあったりして、本当に本気でやったのかと自分でも疑わしい部分が見つかるわけだ。となると、まだまだ自分では精一杯で限界だと思っていたところが、実は本当の限界にはまだまだ到達するどころか、近づいてもいないことに気がつくね。すると、絶望から希望が見えるわけだ。なんだ、まだまだ本気出してなかったのかと安堵する。そしてならばと再チャレンジする活力がみなぎってくるわけだね。その繰り返しをおそらくは生まれてからずっとやってきたわけだね。

限界

そう、限界を決めているのはあなただし、そのレベルはものさしで測ることができるような物理的なものではない。もちろん限界を本当に超えてしまえば生きてはいられないのかもしれないから、そのための安全弁がきちんと働くようにできていて、自分ではもうこれが限界だと思っているかもしれないけれど、実はまだまだ安全マージンが確保されていてちゃっかり再チャレンジもすぐさまできるぐらいの力しか使っていないというのが真実かもしれないね。だったらいつも目一杯限界までのつもりで頑張っても大丈夫なわけだよ。もう二度と懲り懲りだよというのを楽しめるようになれば素敵だね。だってそれは限界だと騙されているレベルのものだからね。人は何度でも生まれ変わることができるし、実際振り返ればそれの繰り返しだったわけだよ。だからまた限界までやってみよう。それでもダメだったら絶望を楽しもう。絶望の中から希望が生まれるのだからね。