嘘みたいな人生
解釈
同じことを見聞きしてもそれをどう捉えるかが全く違っていることがあるね。それが親しい間柄の人だといやいやそれは違うだろうと真正面からぶつかることもある。もちろんお互いの理解を求めてきたという安心感もあって口に出しやすいっていう感情もあるだろう。同じ感情で同じ感性と共通観念があると思い込んできただけで、やっぱり実は全く別人だったんだという当たり前のことを突きつけられて、ちょっとがっかりしているね。でもそうやって違う観点を持つということはとても素敵なことであって、全くあなたと同じだからこそ一緒にいるんだという理由にしていることこそが異常なんだよね。今だからこそそんなふうに冷静に見つめ直せばわかるようなことだけど、そのときはなんだかすべてに対して反感を持ってしまって感情の揺さぶりが収まらなかったね。
相違
あなたはいつの間にかわかりあえていると信じている。いや、わかりあえるからこそ信じるに値する関係だと勝手にあなた論を振りかざしている。だからそうではない違和感を感じたときに、「裏切られた」という深い憎しみを感じるわけだ。しかしその人はあなたをもともと騙してやろうと悪意をもって嘘をついていたり、あなたと共感するふりをしていたりしていたわけではないね。それまでもずっと素直に感情表現をしていたはずだね。なのに、急激にわかりあえないとなにかをきっかけに気がついたときに、もう以前の関係性には戻れないと思いこんでしまう。要するに相手は全く何も変わっていない。あなたが激昂しているのは一人芝居ということになる。あなたの理解を超えた存在をなんとか取り戻そうとジタバタしているだけで、そもそもあなたの理解に誰も合わせて生きてはいないね。あなたと同じようなあなたのような人がそばにいれば、あなたはそうアドバイスするはずだよ。
共感
相手の気持ちを感じ取って、それをあたかもあなたの気持ちとして感じ取ることを共感という。そしてこの共感は社会生活をする上でとても重要だと考えられてきた。人に迷惑をかけないようにとか、嘘をついて騙したりしないとか、人のものを勝手に盗んではいけないとか、それらはすべて共感を前提にした倫理観ということになるね。実際嘘ばかりついても、つかなくても生きるということに関しては表面上何も変わらないね。ある人はもう息を吐くように嘘をつける力さえ獲得している。だから本人もどれが嘘でどれが本当かなんてもはやどうでもよくて、心地よく生きるために条件反射と進化によってそういう力を獲得したわけだ。本人は嘘をつくことは良くないと思っているけれど、それ以上に嘘をつかないとやってられない社会のほうがさらに悪いと本気で思っている。嘘も方便とはよく言ったもので、嘘が悪いことだと言う根拠は、嘘をついた当人の共感に訴えかけているものだね。本人が嘘はやむを得ないと信じれば嘘は悪くないということになる。嘘で固めた人生はそうでない人生と何も変わらないからね。何が変わるのかといえば、よくわからない安らかさが心の奥底に流れているかどうかぐらいだからね。