やっぱりムダが好き
よく生きる
人生不合理なことばかりだね。これだけ人知れず頑張っているのに誰も評価してくれないとか、これだけ大事に思っているのに相手は全く意にも介されないとか、もっと合理的にすんなり成功者になりたいのに実際はムダばかりで遠回りしているとか、挙げたらきりがないね。一方で人生が思い通りでスムースに流れるようにうまく行ったらどうなんだろうと想像してみよう。ちょっとしたことで評価されて、ほとんど周りの人はあなたのことを一番大切に思っていて、好きなことをちょっとやってあげたらそれだけで有名になって大成功だ。もちろんあなたが希望すればそのとおりになってしまうので、それが逆に普通に感じている。その分あなたは謙虚であろうと常々から周囲に対する気配りを忘れないように心がけている。何をするにも相手のことをおもんぱかってときに肩身が狭く感じられることもあったりする。おや、ちょっと何が幸せなのかわからなくなってきたね。
合理的
ムダをなくして合理的に生きるとは、ぱっと生まれてぱっと死ぬのが一番だというおかしな結論になる。宇宙や地球レベルで人間という生物を見るに、寿命はできるだけ安定的なサイクルにした方がいいね。高齢者だけ増えて次世代の子どもたちが少ないなんて言う不合理は、ムダとかそういうレベルの話ではなくて種の絶滅を意味する。合理的に生きるなら年寄はとっととこの世を去った方がいいってことになる。そして子どもはどんどん生まれるように社会制度そのものを変えた方がいいし、なんなら子どもが子どもを育てるための全力支援をすべきだという結論になったりする。ところが現実にはそんな思い通りにいくわけでもなく、為す術もないね。理屈や概念でいくら考えてもそのとおりにできないし、さらに改善案があったりしてもどうやって実行するのかもわからないね。
うまくいかない喜び
だから、うまくいかないことそのものが人生そのものという結論になるね。こんなことやって何になるってことが人生の喜びそのものなんだよ。何不自由なく過ごしてみればすぐに飽きるし、困難ばかりの人生は嫌になる。ほどほどのムダを楽しむのがよく生きるコツだね。あなたが普段ぼやいている不平・不満こそが生きているということそのものなんだ。だからそんなものがない人生の方が素敵だと錯覚しているけれど、実は全くの勘違いだね。遠回りでくそったれの人生が一番充実しているという何よりの証拠となる。だからどんどん不自由に生きて愚痴をこぼそう。愚痴をこぼせるのはそれが素敵な人生の真っ最中ってことなんだからね。人生とはムダそのものなんだよ。わかるかな、わかんねーだろうなぁ。