他人の人生
いい人生のために
親や先生の言うことをきちんと守ってそれを継続する子は褒められて得意になる。そしてそれが成功体験となってなんでも反抗したり受け入れられずジタバタするよりも、最初から表情一つ変えずにすべてを受け入れると幸せになれると知っているから、指示通りにまるでロボットのように生きることになる。それで周りが幸せそうならそれでいいね。さらに自らもいいアドバイスをずっと受けられるから損ではないと思っている。ムダな抵抗をすることによって自我が芽生え、その後の自立した人生に大きく影響すると言われている反抗期が現代っ子にはなくなりつつあるようだね。もちろん反抗期を象徴した積木くずしや青春ドラマなんかは、時代が生み出したブームに過ぎないんだけれど、自分の頭で考えて意見を持つという練習をしないまま幼少期を過ごす弊害の方が気になる。ロボットのような従順さが高評価につながるという意識そのものがもはや他人の顔色を見続ける人生を生きることになるからね。
傍若無人
だからといって何でもかんでも反抗したり抵抗したりせよと言っているわけではないよ。反抗期でも手を付けられない子は、自らでは加減がつけられなくて暴走しているね。自分の考えと一致するならば素直にそれに従えばいいのに、従うことそのものに抵抗が生まれてしまって、もはや反抗、反論することが一番の目的になってしまって内容の如何は問わないようになってしまっている。それは本末転倒だね。他人の意見に対して自分でもうんうん考えた意見が違うならば、わたしはこう考えるときちんと伝えられるようになることで、他人の顔色や価値をそのまま丸呑みするようなロボットからの脱出が可能になる。ところが、それがもはや面倒事の一つになっていたり、それが悪いことだという思い込みと洗脳が溶けない限り、逆に自らの意見を持つ人を遠ざけてしまうね。もはやそういう自分の頭で考えるような存在は、厄介事の一つだと思ってしまっているからね。
わがまま
とにかく私に注目してほしいがために、息を吐くように嘘を付くような子どもが出来上がってしまう。自分の意見を持てずにいるので、いつも鋭く感じているのは有利なのか不利なのかだけ。自分にとって不利なことを徹底的に排除しないと、それに真正面から対抗できないから嘘をつく。もしくは機嫌を損ねて感情的な行動という名の計算ずくの行動をして相手の反応を不利な状況に追い込むね。それはおそらく二人だけだと効果は薄いから、普段から私派のファンを生み出すための見え透いた行動は必須となるね。いざというときに誰も同情してくれなければ意味がないからね。そうやって自らの優位さのために、常に他人の目を伺うだけの人生に放り込まれている。本人はそんな他人の人生を生かされているなんて微塵にも思っていない。でも周りからすればそれは明らかだね。だからこそそんなあなたに真実は伝えないし、伝えて揉めるのも面倒だと思っているんだよ。そうやって悪循環に陥るわけだ。そこから脱出するには、私をとことん不利な立場にしてみよう。するとあら不思議なことにあなたは信頼されるようになるよ。