ぼんやり生きる

日々

仕返し

あれだけ大切に思っていたのに、信頼していたのに裏切られたとなると、復習の気持ちがメラメラと起こることがあるね。やられたらやり返す、倍返しだ、とかが流行ったりする時代は、とにかくその恨みが大きさによってあらゆる手段を使って責め立てることができる。よく考えてみれば江戸の時代からマスコミがやっていることは「糾弾」や「追求」や「揶揄」であって、それが報道という名の使命によって正当化されてきた。それを庶民が見てあーだこーだ言ってやっぱり良い悪いのジャッジメントを井戸端会議でも同じようにやってきたわけだね。人は罪を犯す存在だし、間違える存在だし、叩けば必ずホコリが出るはずだね。だからそこを調子がいい時に限って探し求めるわけだ。それはマスコミだけではなくて、一般庶民もそう願っている。だってそんなに完璧な存在を認めてしまえば、なんでも無い自分がとても肩身が狭く感じるからだね。要するに現代社会はやられたらやり返す社会であって、必ず成功したり有名になれば「カネ」を手にしているわけで、その「カネ」で誰よりも幸せを感じていることが気に入らないわけだ。

カネ

資本主義社会はカネの社会であって、カネをうまく操ることができる人だけが幸せを掴む社会だと言われている。なのに幼い頃から通わせる学校ではカネの話は一切してこなかったね。それどころかむしろ清貧が進められ、慎まやかな生活をおくるべしと教わったはずだ。それもそのはず学校は元々軍隊組織であって、稼いだカネはすべてお国のために貯金しなさい、欲しがりません勝つまでは、なんていうのが義務教育の根底にあるからだね。それを教えている先生は豊かで金持ちであってはならず、先生が自ら清貧のお手本になるべき存在だね。給料が驚くほど高い先生は予備校の超有名講師ぐらいであって、それ以外の先生はブラック企業よりもひどい勤務体系だとようやく指摘されてきたね。ちょっと遅すぎたのか少子化が進む現代でも先生の成り手がなくてどんどん足りなくなってきているみたいだね。

シアワセ

シアワセばかりを追い求める時代になり、それにはカネが必要だという時代になり、カネさえあれば大抵のシアワセは買える時代になった。だからこそ人を出し抜いてカネをうまく操ることができる才能がシアワセを生む出すのと同じことになる。そしてカネをたくさん持っている人に嫉妬し、そのカネは元々は沢山の人が生み出した全体の富だということも吹き込まれて、それなら取り返すべきだと憤慨している。国家という幻想暴力装置は、カネを庶民から税金というカタチで巻き上げ、働いても働いても稼いだカネからピンハネして徴収している。仕組み的にはヤクザのしのぎであるショバ代と何ひとつ変わらないね。払わないやつは重大犯罪人だから誰もが従わざるを得ないね。たくさんカネを操る人はそれが気に入らないので、国家の構成員である議員に圧力をかけて制度そのものを捻じ曲げる。すると高額納税者はちょっと得したりするようになっているね。やられたらやり返す、倍返しの社会はこんな仕組みであってそれをあなたも受け入れているどころか、どちらかといえば歓迎しているね。復讐を考えてる暇があるなら、夕日がきれいな海辺にいってハナクソほじってぼーっとすればいいのにね。何もしないのが最強なのに、暇ができれば不安になってしまう病に侵され続けている。