スタコラサッサ
整合性
論理的でチグハグな意見もないのが正しさだね。あの人の意見は正しいとか間違っているとかの判断の基準は矛盾がないこと。つじつまが合わないことばかり言っていたら信用されなくなってしまう。逆に論理的な正しさを貫き通すとかっこよく見える。矛盾しないから理解でき共感できるわけだね。それがあなたは当たり前だと信じている。けれど一体それはいつからか考えてみたことがあるだろうか。いや、わたしは生まれついて嘘や矛盾や論敵的不整合が大嫌いです、なんて言う人はいるのだろうか。正しさが美しさだけでなくかっこよさや憧れまで感じさせるそのパワーは一体どこから来ているのだろうね。
詐欺
相手を欺こうとして言葉の論理性を悪用する人がいる。一見理路整然としていて何の矛盾もないように仕組んであるね。誰もがそこつじつまがあわないじゃないと簡単に見破ることができない。ところが後になってよく考えてみると時限装置のように種明かしされていくね。ああ、騙された、と思った時はすでに遅しってやつだ。なんであの時に気が付かなかったのだろうと後悔しきりだね。でもそれが論理性のマジックなんだよ。論理的な構造というのは一見するだけではわかりにくくすることもできる。でもこうやって文章にするとすぐにわかったりする。だから騙されないためにも一旦メモや日記にしたためる習慣をつけるといいね。あるいはその場ですぐに結論を求められるような場合は、一旦そこから逃げた方がいい。訳がわからないと言われようが何しようが、そのエセ論理から離れるのはとても大切だね。感情的になることもそこには計算済みなんだからまんまと乗っては思う壺なんだよ。
正しさは悪
論理的な正しさは時に大戦争を引き起こす。今回もそうだね。そして何ら関係のない人々が犠牲になる。それを側から扇動している傍観者はあなただ。支援だの寄付だの追悼だのが報じられて否が応でも目にして耳にする。それでますます心が揺さぶられるね。そこで思い出してほしいのは愛する人やモノを守るために、自ら銃を手に戦うことは「美しきこと」ではない。あなたの撃った銃弾は敵とされる何の関係もない兵士にあたるわけだ。そうやった後に何が残るのか。仮に勝ち負けが決まったとして、大きな視点でみるとそれは憎しみの歴史が一つ増えるだけだね。その火種は再びどこかで噴出するわけだ。だからとにかくその場から逃げるのが一番だと思うよ。逃げるが勝ちだ。逃げることは卑怯だと罵るのは詐欺師の呪いの言葉だから右から左に聞き流そう。卑怯とはそういうことではないからね。