反対の反対
反対
反対するエネルギーとは否定のエネルギーであってエネルギーであることには間違いないね。幼い子どもが大きくなるときになんでも「いやいや」する時期があるし、もう少し大きくなって体が成熟してくれば「反抗期」を迎えて自我と対峙して自分なりに折り合いをつけて生きる方法を学ぶようになっている。もちろん最近はもう少し思考が変わってきているので第二次性徴期の頃の「反抗期」がなくなってきているらしいね。だから大人になるまでずっと親と仲良しだし家族に反発を感じたことがない子どもが多くなってきている。それでも受け入れ難いことは起こるわけで、それに対する反発の心が起こらないというのもある意味不自然なことだね。ただ反抗したりしないのはなぜかと問うと、面倒だし意味がないと答える子どもの目にはキラキラした輝きはなかった。
自我
大人になるとはある日突然あなたの心に居座ることになった自我とどう折り合いをつけるかということだろう。故に全てに対して反発することが多くなる。思い通りにならなすぎてイラッとすることばかりになるわけで、そういう世界に一変するわけだね。他人は信用に足る存在ではなく、かといって自我で何一つできることもなく、ただイラつく世間に毒を吐き続けるだけの人生となる。何かを助言されても素直に受けれたら足元を見られてしまうという不信感から素直にありがとうとは言えない世の中になるわけだ。もうそれだけで十分に不幸の塊なんだけれど、さらに社会不安まで起こって流行病で行動が制限され、東欧では戦争が起きている。もうどうしたらいいのかもよくわからない状態で、戦争に反対する集会やデモが世界中で繰り広げられているね。悲しくもう見ることもないだろうと思っていた映像が現代ではネット上を瞬く間に駆け抜けていく。嫌なら見なければいいんだけれど、どうしてもあなたの目に留まってしまうね。
負のエネルギー
何かを成し遂げようとか、何かを変えようとするときに膨大なエネルギーがそこに集中することになる。それは良いも悪いもそうだね。さらに歴史から学べることは、そうしたところで朝はくるということ。結局は一時的な犠牲と破壊が起きるものの、大自然の大地やその法則は変わることはないね。雨が降り、風が吹き、必ず夜は明けて必ず夜はふける。野望を胸にしても必ず死を迎え、それとは関係なく新しい命が生まれる。自我でいくらそれを否定しても反発しても1ミリも変えることはできない。反対するエネルギーは危ないね。そのエネルギーが無益ないざこざや戦いを引き起こす原動力になるからね。何をどうしても地球をすべて破壊することしかゼロにはできないし、まさかそれに多くの人が賛同するとは思えないね。正義も悪も今怒りを感じているのなら、それは負のエネルギーが充満しているということ。まずはそこに気をつけようね。