受け取り拒否

日々

嫌い

好きでもないものをあれこれと考えてその理由を探ってみたりしても、結局理屈じゃなくて感覚によるものだったりするね。だから論理的に犯人探しをしてみても見つかりそうで見つからない。正確に言えばもう面倒になってこいつが犯人だからそういうことにしておこうなんて冤罪を自ら作り出している。何もしていない何かを犯人に仕立て上げることは現実の世界でもあるみたいだけれど、その原因のすべては「思い込み」だね。犯人がいるはずでそれはお前だという前提からあらゆる関係性をそこを起点にして探していく。だからどうであってもますます何もかもが疑わしいわけで、そうなるとそれにこじつけた物語を創作するのはいつものように簡単なことだね。なぜなら今置かれているあなたの世界はすべてそうやって創作して出来上がっているものだから、もうお茶の子さいさいというわけだ。

少しの嘘

でも色々な関係性を気にして直感的な感覚をそのままストレートに伝えるのは憚られることが多い。だから少しだけ思ってもない嘘を混ぜるのが嗜みというか礼儀だね。謙ったりする敬ったりする文化の起点はすべてそこから生まれている。要するにすべてに少しだけ嘘が含まれている世界というわけだ。嫌いなものを苦手と言い換えたり、好きなものを嫌いじゃないと表現したりするそれだね。そういうことが得意な人は人間関係で悩むことは直接的には少ないかもしれない。ただ嘘は自らの心に抵抗することなので、やり過ぎると苦しくなるのは仕方がないね。本音で生きると開き直ったところで、何が本音なのかすでによくわからなくなっている。だから、嘘も満更でもないと感じることができれば、それまでのモヤモヤも昇華される場合があるね。嘘も方便だし、そのまま表現したところで伝わらないのは同じだとすれば強いて言わなくてもいい場合もあるね。

裸の心

そんな気遣いや気配りや工夫があるのに、実は全て分かったりするのも感覚が持っている本来の力だね。本当は嫌いだけれど苦手と言い換えてくれている気持ちをありがたいと思っている。だから真実が逆によくわかって、相当嫌いなことを受け止める必要があるね。剥き出しの感情はどんな言葉で誤魔化そうとしても、嘘で脚色しようとしても、それをした分本音がストレートに伝わる仕組みになっている。だからこそ馬鹿になった方がいいね。そもそも好きでもない人からの言葉は全部受け取らずそのままスルーが一番いい。心遣いも何もない剥き出しの感情の矢が飛んできたら、身をかわして当たらないようにできるのが一番だね。もしくは刺さってもいいように鎧兜を着ておいた方がいい。そしてたまに刺さったとしてもすぐに処置して美味しいものでも食べて回復しよう。そんな他人の矢を真に受けて傷を深くする必要性なんて全くないからね。