反応と感情

日々

フィーリング

考えるのではなくて感じろ、なんて言う言葉があるように感じたままに行動するのは難しいね。感じたまま行動することに対しての恐れは、それが周りとの関係性を掻き乱す可能性があるのではないかとというものがある。そういう類の計算が感覚的に行動することを阻害している。計算結果である恐れはどこからくるのかと言うとほぼ思考によるものを主に指すのだろう。感覚的に恐怖を感じたならばそれを行動にうつさないことがセーフティマージンを担保するので感覚と行動は一致する。けれど、感覚的にGoであっても、待てよ、もしかしてそれは損な行動になるんじゃないかと思えば踏みとどまる。これは思考による行為に対する抵抗だね。この思考による制限を時に「理性」と呼んだりもして、どちらかと言うと現代社会においては「良きこと」のような扱いになっている。

直感

感情はすべて感覚的だと思い込んでいる。けれど実はそうでもないね。喜怒哀楽の中で特に問題児なのは「怒り」だね。「怒り」は咄嗟に感じてしまうものでどうもコントロールできないとされている。最近ではアンガーマネージメントなどの書籍が出ていたりしてどうも瞬間湯沸かし器のようにすぐに恫喝したり、憤慨したりすることをコントロールが難しいものとされている。どうしてそうなってしまうのかという研究はかなり進んでいて、感情なのに理屈上では「コンプレックス」がそもそもの原因らしいね。自己肯定感が高いようで実は低く、強く劣等感があるような状況において思い通りにならない苛立ちが増幅されるみたい。だから玩具屋さんの前で駄々をこねる幼き子のような反応をとってしまうのが大人の「腹に据えかねた怒り」という感情表現として現れるらしいけれど、あなたは大丈夫かな。

反応

ついカッとなって衝動的にやってしまった、なんていう言い訳が通じるのも「怒り」の特徴だね。激昂したり取り乱したりするのもその性質上よくある話だからなのかな。でもよく観察すると怒りのきっかけはただの「反応」でしかない。そこから「そら見たことか!」という準備がされている「怒り」の引き金を引くことでおそらくは急速に「怒り」を増幅するアンプがスイッチオンになる。それを「カッとなった」と表現している。その過程からしてこれは「反応」のように見せかけているけれども、準備周到な計画的犯行だね。すべて前もって揃えておかないとこううまく連鎖反応的に導火線に火がつかない。思わず感じるというのもちゃっかり演出のうちで、そうなったときに前もって準備された決め台詞そのものだね。感情的になるというのは一体どういうことなのかを、もう少し具に見てみると感情そのものが決して自然なものではないことに気がつくね。そう、あなたはすべてそうしたくてそうしているんだよ。