謎は深まるばかり
ないもの
あなたが知らないそれは、あなたの世界ではないものとして存在している。ちょっと変な表現だけれどもそう言うことだね。それである日突然知らなかったそれに出会うことでなかったそれが「あるもの」になる。すなわちあなたの世界の一部として存在できるようになるわけだ。無知の知と言うようにあなたは全てを知っているわけではなく、この世界にはあなたの知らないことがたくさんあると不思議なことに信じている。知らないのだからあるとかないとかもわからないはずなのに、まるで預言者のように知らないけれどたくさんそれは存在しているといわば断定している。はてさてこれはどういうことだろう。文字通り知らないこと、未知な存在があって当然だと感じられるのはやっぱり特殊な能力を兼ね備えているのかな。
何が見える
登ってもない山の頂きから見える景色は未知な世界だね。でも脳のクオリアはそれを再現できる力を持っている。それはいくつかこれまで見たことがある情報を組み合わせてあなたにしか見えない完全オリジナルな映像として再生することができる。だから見たことがないのにまるで見たような映像があなたの頭の中にははっきりと「ある」わけだ。「ない」のに「ある」にできるということは、あなたはずばり創造主といっていいね。どこの山かは知らないけれど、誰もが知っている山頂からの景色を思い浮かべることができる。それはまさに「無」から「有」を好きなように生み出すことができる力だね。ところが、山もその高いところからの景色も、日の出や日没の染まりゆく空も、何かデータがなければ想像すらできない。すなわち完全な無からは有を生み出すことができないと考えられている。なんでもいいからその「元データ」となる何かがないと組み立てられないわけだ。
夢見るロボット
希望はどこから湧いてくるのか。夢はどうやってみることができるのか。あなたという意識はどこからやってくるのか。きちんと説明できないことが多いね。現代では脳じゃないかなとあたりをつけて仮説を立てて研究されているね。ところがだんだんと詳細に分かってくることでさらに謎が深まっている。脳を構成している脳細胞は加齢とともにどんどん死んでいって、それを補うためにそのつながりが再構築されている。ということは、ちょっとまえのあなたの脳と今のあなたの脳の中身は異なるというわけだね。ところがあなたの思いがちな夢や希望や見たことのない景色なんかは変わらず同じに見えている。これは一体どういうことだとなっているね。さらに言うと、あなたの幼少期の写真と今の写真を比べれば、明らかに別人のように姿形も変化している。すなわち老化しているわけだけれども少年の時のように相変わらずくだらないことを考えている。現代でもこの先未来になってもどうやら謎が深まるということ以外に変化はないようだね。