何の矛盾もない
矛盾
論理整合性がとれていればあなたは納得し、それが矛盾だらけならちょっと言っていることがよくわからないね。そしてどちらかを信頼しなさいと言われたらあなたは迷わず矛盾のない意見を言う人を選ぶのかもしれない。確かにいつも言っていることとやっていることが違うような人や、全部の都合の悪いことは他人のせいにして逃げたりするような人は一緒にいるだけでちょっと疲れてしまうね。筋道が通っていて、それでいてはっきりといい悪いを明確に表明するような人の方がもしかしたら素敵だと思うかもしれない。論理的整合性とは、言葉の配列の問題だね。言葉の順序がムリがないから腑に落ちることが多い。なるほどと納得することが多い。同じ言葉だけれどその順番を間違えると、ん?となる。それはもはや意味をなさなくなるわけだ。まるでレゴブロックで創り出す創造の世界でもあるね。一つ一つのレゴブロック自体は誰にとっても変わるものではない。言葉も単体で見ればなんてことはない。その組み合わせや並び順で全く異なる何かがそこに生まれるというわけだ。
伝え方
同じことを伝えるにしても、言い方を間違えるとうまく伝わらなくなるね。でもこれもよく考えてみると不思議なことだ。論理的にできるだけ間違いなく伝えようとすると大抵は感情的になって反感や反発を持たれるだけになってしまう。先の矛盾のない言行一致の方が信用できて好ましく、言うばっかりでなにもやらない人は信用がおけないし一緒にいたくないと思っていた。だからこそ、遠回りな言い回しやよくわからない比喩を使わずに言葉の美しい組み合わせで端的な方が良いはずだね。ところが実はそうではなく、特にあなたの欠点を指摘されるような場合において、あるいはあなたの好きな何かを批評される場合においてはそうでない方が好印象となる。このことはまさに矛盾しているね。矛盾しているような言動の人は大嫌いなのにも関わらず、その矛盾さえも時と場合においては意味合いを変えて受け止めていることになる。
世界は言葉
SNSのツイートを見たり、インスタグラムでハッシュタグをつけて映え写真を投稿したり、レポートを書いたり手紙を書いたりで言葉を一切使わずに一日を過ごすのは難しいね。すべてをアートで表現することも不可能ではないけれど、それが日常になると骨が折れて疲れてしまうね。かと言って難解な好きでもないビジネス文章を延々と読むのもうんざりだ。文字はできるだけ少なく最大限に必要事項が伝わるのがいいと思っている。話が長い上司なんて最悪だ。たいていそれを真面目に聞いたところであなたの人生にとって参考になると共感できることがないからだね。先の論理的整合性がとれているとか矛盾するとかの問題ではなく、強いていえば生理的に受け入れられるか受け入れられないかだけの問題となっているね。好き嫌いで同じ言葉の配列でもそこから汲み取る世界観は大きく違うわけで、論理的整合性なんてものも矛盾というものも実は全く関係ないし、そもそもそんなものがあるのかという疑問さえ湧いてくるね。そう、言い方を変えれば、すべては矛盾しているとも言えるしなんの矛盾もないとも言えるわけだ。