あったほうがいい
多機能のムダ
いろんなシステムや機械を手にしたらそれを十分に使いこなさせるように習熟しないと無駄になると言われているね。身近なものでいえば白物家電とよばれるテレビ・洗濯機・冷蔵庫などがあげられる。技術はどんどん進歩していて、いろんなボタンがあったりして戸惑うけれど、使い方としてはシンプルで決まったボタンしか使わないのがほとんどだね。逆に言うとそれだけで事足りるはずなんだけれど多機能にしていろんなところが調整できるようになっている。それが壊れるまでまずは使わない機能が溢れているときもあるね。ああ、この機能があってよかったなんて年に1回もなかったりする。使用環境によってはそういう機能はムダなんだけれど、誰が使うかわからないのと多機能なのが技術力であり差別化だと信じて疑わないメーカーが、ユーザとマッチしない製品を売り続けているのが今の状態だね。
使いこなす
デジタルガジェットであるスマホは今や必需品となっている。今どきスマホが使えない人なんてどうかしていると思っている人は多くなりつつあるね。ところが普段メールと電話をするだけであれば全く必要のない機器であることは間違いない。ユーザ側の都合を考えて製品を開発するとすれば、過剰な機能を省いた製品が出てもおかしくない。ところが製品を製造するコストの制約で同じモデルをできるだけ多く生産したほうが1台あたりのコストは下がる構造だから、ごく一部のユーザだけのための製品なんて現実的には利益がないので作ることができない。技術力や開発力がモノを生み出す能力と思われてきたが、そうではなく売れる数が少ない製品は世に出しにくいという問題がそこにある。だからどうしても多めの機能に溢れた製品を高めの価格で手に入れることになるわけだから、どうせなら使いこなそうと四苦八苦している人が多いわけだね。
ないよりまし
今は使わないけれど、いつか使う日が来るかもしれないから、ないよりはあったほうがいいと思っている。本当にそうかな。使う日が来てから考えてもいいと思うけれど、それじゃ遅いってことかな。しかしそうならば常に今手に入る最新のものではないとその要件は満たせないということになる。今はその9割は使わないし使い方すら知らないけれど、その機能があることは知っている状態を維持することにコストを払うということを容認しなければならないと思っている。そういうユーザが多いならば市場はそういう製品が一番多く売れるから、そういう多機能な製品しか選べない状況となるわけだね。なんだか悪循環だけれどメーカ側はそれを思い切って変更することさえやりにくくなる。だから相変わらずそういう製品しかない。性能や機能がムダに溢れている製品が一度もその機能を使われずに捨てられていくぐらいなら、ちょっと器用ではないけれどシンプルな製品がたくさんあったほうが豊かさを感じられると思うんだけれど、現代ではむしろ贅沢品なのかもしれないね。