USOばっか
嘘も方便
なんだか世の中嘘が多くなってきたのかな。嘘は良くないと学校で習ってるから嘘じゃないと答えるしかない。認識の違いだとか誤解だとかそんなふうに思ってなかったとか言う。でも本心はどうなの?
だって嘘は良くないってみんな言うから仕方なくさらに嘘を付く。嘘に嘘を重ねてもうなんだかわからなくなる。たぶん言っている本人もそんな感じなのかな。
でも嘘も方便だとして、嘘をうまく使えば世の中はカラカラ回るなら、嘘は絶対悪いというわけでもないのかな。
ちょっと言い間違えたり、あれ?さっきと言っていることが違うとか、矛盾しているとか、そういう視点で見なかったら万事オッケーなのかもね。
私はすでに間違っている
そもそも真実は一つとか、正しさは一つとか、間違っていることは良くないこと、カッコ悪いこととかということが前提になっているのをやめたらもっとお気楽な人生を送れるかもね。
正しさなんて一つじゃないし、信念とか信条とかは人それぞれにあって、違ったときにどうするかをすり合わせて、お互い納得して笑って過ごせればいいのに。
何を信じるかなんて一緒にするには難しい。人はそういう生き物。だからそれは嘘だね。間違ってるよと思うことが生まれるのは当たり前。その違いを認めつつもうまくやっていくには、自分も含めて、みんなすでに間違っているかもしれないという認識がまず必要だと思うの。
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お互いさま、おかげさま。
せーのでそう思うとそもそもそんなに嘘を言わなくてもうまくいくのかなと思ったりする。
嘘ばっかになったとき一番厄介なのは、だんだん考えが狭くなってしまってあらゆる可能性を捨ててしまうこと。
エビデンスとかカタカナ使って煙に巻くのではなく、いろんなことを正しいと思っているみんなで一旦は考えてみよう。
そうすると新しいなにかが見つかるかもしれないね。ま、それもすでに間違っているかもしれないけどね。
それの繰り返しが丁寧に生きることそのものじゃないかなー。え?もう酔っ払ってるかって?酔っ払ってなんかないよー。嘘じゃないもーん。