誰得
勝負
戦わずして勝つ、という兵法の中の言葉が表すように、戦うと必ず勝敗が決まってしまう。もちろんつけたくてつけているわけでもなく、ときには引き分けもある。けれど実は引き分けも微妙な妥協案で決着がつくまでやらないなんらかの理由がそこに必要となるね。予めルールが決まっている競技では引き分けが存在するけれど、それ以外はなかなか引き分けで納得してもらうのには骨が折れるね。戦いを始めた以上勝敗が決まるまでお互い止めるわけにはいかないのはそういう理由からくる。だから戦うなんて原始的なことをしないのに限るっていうのが先達の最大の教えとなるわけだ。
競争
順位を決めるのも同じことだね。複数人で戦えば競争になる。この中で誰が一番かを争うことになるわけで、同列一位なんかもあり得るのは先と同じ理由でルールがきちんとあるからだね。ルールが整備されていない競争はバトルロワイヤルな感じになってもう順位どころか、誰がその中で生き残るか、なんていう風情になってしまうことが多い。いずれにせよ戦うのが本能だとしても無秩序にやりたい放題になるとメリットよりデメリットの方が大きくなる。特に現代の集団定住した生活スタイルだと、都市インフラを破壊した後のリカバリーコストが膨大になるね。だからいつまでも続けて勝敗が決まるまでは諦めないなんていうことになるとお互いに疲弊していくだけで、たとえ勝利したとしてももはやプライドや意地という実在しないものが満ち足りるだけになる。
安定化装置
現代では戦うメリットよりもデメリットの方が格段に大きい。だから比較的強いリーダーを束ねて同盟や連合を結ぶわけだね。もうお互いにデメリットでしかない戦いはできるだけ避けましょうという協定に比較的無理なく同意することができるという特性を利用している。ところが、現代でも紛争や戦争は実は報道されないだけで常に絶えたことはない。それは謎でもなんでもない。漁夫の利を得ている誰かがコントロールしているからだね。戦うのに必要なのはもちろん莫大な戦費だ。そしてそれが必要なのは兵士を支える武器、弾薬、食料、医療などだね。それらは自国ですべて調達できるわけではない。誰がそれを売っているのか。売らなければどうなるのか。そこがほとんど司っているのは明白だよね。なのに誰も触れないのにはなにか特別なわけがあるんだろう。