柳に風

日々

頑固

初志貫徹というか、首尾一貫というか、思い込んだら命がけみたいなことは、場合によるけれども概ね良いことのように語られることがある。一度決めたことを曲げない真っ直ぐな性格は、常に風見鶏のように二転三転するよりも好ましいと思う人が多いかな。でもこんな人がそばにいたら頼もしいと頼り切りになるか、柔軟性がない頑固者として鬱陶しいだけになるのか、その違いはほんの僅かでどっちに転ぶかわからない危うさを持っている。それを分かつ分水嶺は「プライド」か「意地」かということ。どちらも良いこととして語られることが多いけれど、とても危険な側面も持っている。意地を通すがあまりに意図せぬ犠牲がつきものだったりするからね。それなら意気地なしと呼ばれても誰も傷つけない方がいいという側面もあるわけだ。

柔軟

時代の変化に柔軟に対応できること。これも場合によって良い悪いが決まるね。柔軟に変化という言い方をすれば何があっても対応できる力を指すいい意味で使われることが多いけれども、逆に信条というか信念みたいなものがなく、あっちへふらふら、こっちへふらふらとあなたは一体どちらが主軸なのかと詰問されたりもする。その批判にもめげずに行動指針をコロコロその場に応じて瞬時に変えられる能力があるのは素晴らしいと思うか、どっちつかずと罵るのかは見ている視点によって全く異なってしまうね。さてあなたはどっちだろう。

時代背景

頑固一徹な生き方ができたのは、その時代背景によるところが大きいね。特に大きく価値観が変わることもなく安定して平和だったからこそ、そういう信念や信条に基づいて生き様に対しての根幹を変える必要がなかったわけだ。ところが有事の際そんなことを言っている場合ではない。さらに時代が大転換していく中で悠長にこれまでのやり方を踏襲しているとあっという間に乗り遅れてしまうね。ということは、初志貫徹も朝三暮四も状況によってその価値が変わるということ。状況によって変わるということはやっぱり頑固一徹や初志貫徹はそういう意味でももはや脚光を浴びる言葉ではなく、どちらかというと影に回ってしまうのかな。しらんけど。