嘘と事実

日々

一般的に嘘はよくないことだと教えられるね。「嘘つきは泥棒の始まり」なんて言葉があるようにできれば嘘はないほうがいいとされている。ところがその反対で「嘘も方便」という言葉もある。この違いは悪意があって他人を騙そうとする嘘はよくないけれど、誰かを助けるための嘘は時として許されるという意味だろう。要するに嘘にも良い嘘と悪い嘘があるということになる。その両方の意味では、嘘はできるだけない方が楽しくて豊かな人生を過ごすことができるんだろうという見方が大半だろうね。

事実

嘘の反対は事実ということになるね。事実とは違うことを事実のように見せるのが嘘。だから事実はいつも正しさの根本で、ありのままをまっすぐ受け止めるという絶対的な強制力を持っているね。ところがその見ている事実とやらがどうも最近怪しいということがわかってきた。事実だもの、と思い込んでいるそれらは本当にそういう絶対的な正しさや間違いのなさを持っているのだろうか。そこを疑いだせばきりがないという意見もあるけれど、そこを疑わないで目を伏せるとなると何をもってまっすぐに事実と向かい合っているという状態なのだろうね。

逆転

嘘をつくことがよくないことであると幼少のころからずっと言われ続けてきた。そして今も心の片隅にそのロジックが根深く居座っている。だから嘘をつくと挙動がおかしくなったり言動がちぐはぐになったりする。その微妙な変化を読み取ることができるのも人類の天賦の力でもある。嘘を嘘だと見抜いていれば大きな問題にはならないからね。そうやって本音と建前のようないわば公然とした使い分けが日常的に行われている。それをなんとなく世の中はそういうもので、嘘が時には潤滑油として作用しているね。だから先の良い嘘と悪い嘘なんていう矛盾をも突き破ってしまうわけだ。嘘は良くないと思い込んでいる人は年に一度ぐらいは嘘をついてみるのもいいかもしれない。いつも事実だと思いこんでいる凝り固まった正しさを一歩外側から俯瞰するという意味でね。自分自身を騙してみるという効能として「嘘」はとても有効手段の一つとも言えるね。