幸せな日常

日々

浮き沈み

できれば平穏な日々を過ごし、ジェットコースターのような天と地をさまようような人生はゴメンだと思っている。ところが、急上昇したり急降下したりしないと刺激が物足りないとも感じてる。まさにジェットコースターは乗る前はドキドキして、乗ってしまえば自分で制御できる部分は何ひとつなく、重力のままに揺り動かされるね。そして発着点に戻ってきて平穏な時間となるわけだ。あなたが幸せになりたい、もっと穏やかな日々を過ごしたいと願う一方で、遊園地のジェットコースターのような乗り物にも乗りたいという相反する欲求がそこにある。もちろん安全が保証されているのがジェットコースターだからというのもあるね。人生のジェットコースターはまさにどこに飛んでいくかもわからないから、そういうスリルはまっぴらごめんだね。でも、今振り返ってみてその人生のジェットコースターでもとてもヒヤヒヤしたときがあったけれど、絶妙なタイミングでなんとか大丈夫になったね。だからこそ今があることにも気づかされる。

刺激

なんの刺激も変化もないつまらない日常を過ごしている。実はこれは失うまで至極の幸せだということには本人は全く気がつかない。健康とか安全とかも同じ類いだね。失うまでそれが当たり前だと思っている。それらのバランスが一気に崩れて失われたときだけ、それらが何であるかを再認識する。遊園地のコーヒーカップやメリーゴーランドでは刺激が物足りないようにね。人間という生き物が感じる幸せはつまらない日常そのものだということがこれでわかる。刺激のない毎日は幸せな毎日であって、しかも絶妙なバランスでぎりぎりなところで成立しているもの。ちょっとした刺激ですぐにそのバランスが崩れ落ち一気にあなたを不安にさせるわけだ。だからこそ、刺激が強すぎると今度はそれが当たり前になって、なんてことのない平穏な一日を過ごすとこれまでにない幸福をそこに見出すことができるってわけだね。

日常

特に有名人でもなく、才能があふれる天才でもなく、容姿端麗でもないけれど、ちょっとした喜怒哀楽をともにする仲間がいる。本当はグッチの財布がほしいけれど今は無印のやつを使っている。もっと立派な車がほしいし広い家にも憧れている。収入もまだまだ不足だしできれば今の倍ぐらい稼げるように早くなりたいと思っている。明日食べるものがないほど困窮はしていないけれど、おしゃれなレストランで値段を気にせずに注文したりはできない。ああ、小さな頃の夢はもっと華やかできらびやかな羨望の眼差しで見られる人生を送りたかったのにとため息一つ。こんなはずではなかったなんてぼやいたりする。そんな中家族が返ってきてまたお金がかかるようなことを言い出す。もうどいつもこいつもと思いながらもなんとか足りるかなといつもやりくりして汲々としている。でもね、そういう日々こそ「幸せな日々」なんだということをあなたはもうすでに知っているはずだね。